新約聖書:コリントの信徒への手紙二・第8章・第9節 [聖書]

「主は豊かであられましたが、あなた方のために貧しくなられた、という慈しみです。ご自分の貧しさによってあなたがたを豊かにしょうとされたのです。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖句は、キリスト教カトリック教会の教えに基づいて、献身的な奉仕活動を行った社会奉仕家の北原怜子さんが、あることを悟る切っ掛けとなった聖句です。まず、この記事をお読みになる前に、北原怜子さんのことを知るため、このブログの2022年4月23日に掲載した「「蟻の街」のお話し・第一話「尊者エリザベト・マリア北原怜子」のことば」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-23

戦後の間もないころ、家族も家も仕事もなくした廃品回収業を生業にする極貧の人たちが暮らす「蟻の街」で、北原怜子さんは、当初自宅から通いながら奉仕活動をしていましたが、そんな奉仕活動を、蟻の街に住みながら世話人として活動していた文筆家・松居桃楼(1910年〜1994年)は、「偽善である」と指弾したのでした。「自分たちは普段温かい家で美味しいものを食べ、たまに子供たちに美味しいごちそうを振る舞う。そんなものは自己満足に過ぎないと。子供たちはまた貧しい日常に帰っていくのだ。あの日食べた美味しいごちそうを思い出しながら。」そして、松居氏は北原怜子さんに次のことを言います。

「『助けてやる』という気持のときには、助ける人が上で、助けられる人が下なのです。つまり<助けられる人>を見くびっているのです。だが、ほんとうの同情というのはそんなものじゃない。上も下も関係なしに、肩を並べて、一緒に悩み、一緒に苦しむことなんです。」
松居桃楼著『アリの街のマリア 北原怜子』から

そして松居氏は、その答えは『コリントの信徒への手紙二』の第8章・第9節にあると伝えました。この聖句を読んだ北原怜子さんは、イエス・キリストが人間のために貧しい身分になられたのに、自分のような何不自由なく生活している者が、極貧にある人たちを慰問することは、偽善者のごとき大きな罪であると悟ったのでした。そして、自らが汗を流して貧者と共に労働をし、生活して助け合うことが重要であると悟り、家を出て極貧の人たちと同じ蟻の街に住んで働くようになり、やがて病に冒され蟻の街で亡くなったのでした。
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