アンデルセンのことば(第4日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「珍客も長居をすれば嫌がられる」

ハンス・クリスチャン・アンデルセンのことは、「アンデルセンのことば(第1日目)」2020.3.8をご欄下さい。
短くて単純な言葉ですが、難しい言葉ですね。「珍しい客」ということですから、懐かしい友人が久しぶりに訪ねてきたとか、思いがけない人が訪れたということですね。そういうお客様が長居をすると嫌がられるということです。久しぶりですから長居OK!と言いたいのですが、そうではない時もあるのですね。

あくまでも一般的な話しであり象徴的な話しとしてですが、故郷に孫を連れて帰省すると、お爺ちゃん、お婆ちゃんは「待ってました!」とばかりに、ものすごく喜んでくれるのですが、何日もいるとしだいに疲れて“うんざり”するようです。
また、京都では、「上がって“ぶぶ漬け(お茶漬け)”でも食べていかれまへんか~」という有名な言葉がありますが、皆さんも一度は聞いたことがあると思います。京都にいる友人に、そのところの説明をメールで求めてみたところ、次の回答がありました。(返信メール内容をそのまま掲載)

「……実際にはそのようなことを言う人も、「帰ってくれ」という意味でこう言うという決まりもありません。それは京都に住んでいる人の“言葉の裏の裏を読み合う会話の揶揄(やゆ)”として作られた話しであって、日常的に存在している言葉ではありません。
「上がって」というのは玄関先でのやりとりで、ちょっと通りかかったので「挨拶だけ」といって玄関先でお客様が話しを始めた時、「挨拶は終わったから、そろそろ切り上げて帰ってもらいたい」、「義理で顔を見せただけのわりには話しが長い」と思ったところで、「上がっていってください」と逆のことを言うわけです。
これでお客様は、自分が上がるほどの用で来たのではないことを互いに知っていながら、その家の主人のあえて「上がれ」と言う言葉で意味を悟るのです。「ぶぶ漬け(お茶漬け)でも」はそのダメ押しですね。その程度の用事なら、上がるまでもないでしょう?まして茶漬けをよばれるほど手間を掛けさせるつもりなんてないでしょう?……と、「ここまで言えばさすがに気づくだろう」ということです。

「帰ってくれ」というのは直接的な言い方ですが、ここで自分がこのまま話しを続けるのか?それとも帰るのか?その切掛けを作っている程度だと言ってもいいですね。なお、なぜ茶漬けなのかと言うと、これは謙遜であって、「何もありませんがどうぞ」という表現と同じだそうです。本気でもてなす時も「ぶぶ漬けくらいしかないですが」と言ってきちんとして食事が出てくる、これは京都に限らず日本的な謙遜的な表現だと思います。」ということでした。訪問先での“長さ加減”が難しいですね。訪問もスマートでありたいものです!

【揶揄】
冗談や皮肉を言って、軽く相手をからかうことの意
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