高山右近が「列福」されました! [聖人・福者・尊者]

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高山右近が「列福」されました!

2月7日(火)、大阪市にある大阪城ホール(最大16,000人収容)で、キリシタン大名・高山右近が、キリスト教カトリックの「福者(ふくしゃ)」に認められたことを宣言する「列福(れっぷく)式」が開催されました。フランシスコ教皇の代理としてヴァチカン市国の教皇庁から派遣されたアンジェロ・アマート枢機卿が進行役の主司式を務め、信徒ら約1万人が参列しました。

福者は、「聖人」に次ぐ崇敬の対象で、高山右近は昨年1月、フランシスコ教皇から承認されていました。列福式では、聖遺物として右近のチョッキの切れ端が壇上に置かれ、岡田武夫・東京大司教区大司教が福者の列に右近を加えるよう請願。教皇代理のアンジェロ・アマート教皇庁列聖省長官がフランシスコ教皇の書簡を読み上げ、イタリア語で「福者の列に加えます」と告げ、その後、長崎の信者で画家の三牧(みまき)樺(か)ず子さんが今回の列福式のために描いた右近の肖像画が除幕されました。カトリック教会は、今後、高山右近が亡くなった2月3日を記念日として毎年祝うことになります。

式典の参加者数などは以下の通りです。
総参加者数 約10,000万人
招待者 約200人
枢機卿 アンジェロ・アマート枢機卿(教皇代理、列聖省長官)、
     ルイス・アントニオ・タグレ枢機卿(マニラ大司教)
司 教 約30人
司 祭 約300人
聖歌隊 約1,000人

高山右近(たかやま うこん)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名です。代表的なキリシタン大名として知られており、洗礼名は、ジュスト(ユスト)です。父は摂津国人・高山友照、母は洗礼名マリアです。徳川家康によるキリシタン国外追放令を受けて、人々の引きとめる中をお世話になっていた前田家(加賀)を退去しました。キリスト教の信仰に生きるため、すでに豊臣秀吉によるバテレン(宣教師)追放令あたりで大名の身分と領地を捨てていました。
長崎から家族と共にマニラに送られる船に乗り、マニラに12月に到着、イエズス会報告や宣教師の報告で有名となっていた右近はマニラでスペインの総督フアン・デ・シルバらから大歓迎を受けました。しかし、船旅の疲れや慣れない気候のため老齢の右近はすぐに病を得て、翌年の1月6日(1615年2月3日)に殉教しました。享年63歳。マニラ到着からわずか40日目のことでした。詳細は、インターネットで「高山右近」で検索してください。Wikipedia(ウィキペディア)に詳しく掲載されています。

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