祈りの言葉(カトリック東京大司教区のホームページから) [祈り]

「祈りについて」
カトリック東京大司教区のホームページに掲載されている「祈りについて」の記事をご紹介いたします。一部私が加筆しています。ホームページ・アドレス:http://tokyo.catholic.jp/

◯信頼
イエス・キリストは神に向かって祈るとき「アッバ」と呼びかけました。アッバとはイエスが話していたアラム語で子どもが父親を呼ぶときのことばです。(日本なら「おとうさん」又は「おとうちゃん」ですね。)イエスの祈りの特徴は神に対するこの大きな信頼でした。イエスは弟子たちにも神に向かって「アッバ」と呼びかけることを教えました。イエスが教えた祈りは「主の祈り」と呼ばれています。

「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。

◯願い
「苦しい時の神頼み」ということばがあり、悪い意味で使われていますが、苦しいときだからこそ真剣に祈るというのは当然のことです。苦しみの中からの叫びを神は必ず聞いてくださいます。ただ、神に祈ればなんでも自分の思い通りになるというわけではありません。むしろ、主の祈りにもあるように「み心が行われますように」という心に変えられていくことが大切です。現代の多くの人々に愛されているある祈りのことばを紹介します。

神よ、
私に変えることのできないものは、
それを素直に受け容れるような心の平和を!
変えることのできるものは、
それを変える勇気を!
そして変えられるものと変えられないものとを、
見分ける知恵を!
この私にお与えください。

上記の祈りの言葉は、「ニーバーの祈り(ニーバーの祈り:英語:Serenity Prayer)」といいます。アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが作者であるとされています。当初は無題だった祈りの言葉の通称です。日本語の訳語から「平静の祈り」、「静穏の祈り」とも呼称されています。この祈りは、アルコール依存症克服のための組織「アルコホーリクス・アノニマス」や、薬物依存症や神経症の克服を支援するプログラム「12段階のプログラム」によって採用され、広く知られるようになりました

◯賛美と感謝
祈りとは、神の前に自分のありのままを差し出すことです。そこでは後悔や自責の念がおこってくるのが当然かもしれません。そんなときには神にゆるしを願います。しかし、自分のいたらなさだけを見つめることがないようにしたほうが良いのです。むしろこのわたしを決して見捨てない神の愛と神が与えてくださっている恵みを思い、神に賛美と感謝をささげる心が大切です。日々の生活の中で祈ることも大切で、特に朝の賛美、夕の感謝、食前・食後の祈りなどが勧められています。

◯沈黙
伝統的に「祈りは神との対話である」と言われています。一方的にわたしが神に話すだけでは対話になりません。むしろ、神が今のわたしに語りかけていることを受け取ろうとすることが祈りの中で大切です。そのために絶対に必要なことは「沈黙」ということです。

◯人とともに、人のために
祈りは神とわたしが向き合う非常に内面的で個人的なことでもありますが、キリスト教では人と人とが一緒に祈ることも大切にしています。また、自分のためだけではなく、人のために祈ることも大切にされてきました。祈りは時間と空間を超えて、神のもとでわたしたちをつないでくれるものです。一緒に祈ってくれる人がいる、互いに相手のために祈り合う、ということは、私達にとって素晴らしい体験です。教会は祈る共同体の中心にイエスの母マリアがいて祈っていてくださると信じて次のように祈ってきました。この祈りは「アヴェマリア」と呼ばれ、多くの人に親しまれてきた祈りです。

「アヴェ・マリアの祈り」
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。
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