「聖ベネディクトのメダイ」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

ベネディクト(裏).JPGベネディクト(表).JPG

聖ベネディクトについて

聖ベネディクトは、480年にイタリア中部にあるウムブリアで、メルシャの貴族の家に生れました。スビアコの修道院での隠修士の生活を望み、荒れた狭い洞窟で三年間苦行の修道生活を送りました。神は、彼の居場所を一人の司祭に知らせ、以来、彼の周囲には、その聖徳に引きつけられた弟子たちが集まり始めました。ある修道院の院長になり、反対派に毒殺されそうになりましたが、彼はそれを見破り毒杯に十字架の印をしたところ、杯は粉々に砕け、中から一匹の蛇が出てきたそうです。

50歳のとき、ナポリの近くにあるモンテ・カシーノへ行き異教徒を改心させ、教会を立てました。修道士達の生活に秩序を与え、効果的に完徳へ導くため修道生活の戒律を書きました。この戒律は、修道院長のもとに共同体の中で送られる典礼的祈りと研究 (聖なる読書) と、労働の生活を規定しています。彼自身は、質素な生活をし、旅人や貧者には寛大にふるまったそうです。彼の記した戒律は、ヨーロッパの修道生活に厳格な形式を与え、これによってヨーロッパ精神史に深い影響を及ぼしました。

聖ベネディクトのメダイについて

写真は、私がいつもカバンに入れて持ち歩いているメダイです。メダイの起源は、非常に古いそうです。当時、瀕死の状態に陥ったべネディクト会修道士のブルーノという青年が、このメダイを介して奇跡的に全快したことが記されています。また、このメダイの正確な図形が示されたのは1647年で、この年、魔法騒ぎがある修首院を襲いましたが、このメダイに守られていた修道院に対しては、悪魔も関与できなかったといわれています。このことがあって、キリスト教カトリックの布教国では「悪魔よけのメダイ」と呼ばれるようになりました。実に多くの取り次ぎがこのメダイを通してなされており、このメダイは、すべての悪なるものに対する祝別された”防御の標徴”であるとされています。神道の「破魔矢」や仏教の「厄除けのお札」と同じですね。

メダイの図章の説明
「十字架の面(写真左)」
☆「PAX」は、“主の平安”の意
☆十字架の四隅にある「C・S・P・B」は、Crux Saricti Patris Benedicti 「聖なる父べネディクトの十字架」の意
☆十字架に縦にかかれてある「C・S・S・M・L」は、Crux Sacra Sit Mihi Lux 「願わくは、聖なる十字架がわが光とならんことを。(お願いします!聖なる十字架が、私達を導く光となってください!)」の意
☆同じく横にかかれてある「N・D・S・M・D」は、Non Draco Sit Mihi Dux「サタンが我が導き手とならざらんことを。(悪魔が私達を誘惑に引き込まないように)」の意
☆外周の頭文字「Vade Retro Sataria Nunquam Suade Mihi Vana , Sunt Mala Quae Libas Ipse Veneria Bibas」は、「サタンよ退け、汝の虚無もて我を惑わすな。汝が与うるものは悪のみ、毒杯は、汝自ら仰げ。(悪魔よ退散せよ!おまえの誘惑(空虚)で私達を惑わすな!おまえが与えるもの悪(悪意)のみ!おまえ自らが毒杯を飲め!)」の意

「聖人像の面(写真右)」
☆聖べネディクト、右手に聖なる十字架、十字架の印で奇蹟を行なう。左手に戒津を持つ向かって左、毒葡萄酒が十字架の印によって祝福されたとき砕け、中からへびが出た図
☆向かって右、毒入りパンは、カラスによって運び去られる
☆外周の文字「Eius in obitu nostro praesentia muniamur」は、「我らの臨終において、御身がその功徳と臨在とによりて、我らの鎖とならんことを。(私達が死ぬ時に、聖ベネディクトがその功徳をもって臨終の場に来られ、私達のご保護をお願いします!)」の意
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