「絶えざる御助けの聖母」の御絵(その5) [絶えざる御助けの聖母]
「絶えざる御助けの聖母」の御絵(その4)・職場のデスク(その59:PCの壁紙)) [絶えざる御助けの聖母]
「絶えざる御助けの聖母」の御絵(その3) [絶えざる御助けの聖母]
「絶えざる御助けの聖母」の御絵(その2)・職場のデスク(その55)) [絶えざる御助けの聖母]
「絶えざる御助けの聖母」の御絵のお話し(その1) [絶えざる御助けの聖母]
このブログの8月18日(金)掲載記事に、カトリック初台教会の平日のミサに与ったことを書き、その中で、この教会のレデンプトール修道会内に、「絶えざる御助けの聖母マリアの信心会」があることを書きました。毎週金曜日の平日のミサ終了直後に「絶えざる御助けの聖母マリアへの祈り」を行なっています。教会では「絶えざる御助けの聖母」の御絵(ごえ)を大切にしており、教会内の複数箇所に飾っています。私も信心会に入会(申請中)をしたことを記念し、長崎市にある「聖母の騎士社」から「絶えざる御助けの聖母」の御絵を取り寄せました。昨日自宅に届き、町田市街にある絵画用品や額縁などを扱っている世界堂に依頼してマット加工してもらい、いま自室に飾りました(写真)。
ちなみに、この御絵をご説明いたしますと、まず、右側の天使は①大天使ガブリエルで、ご受難の時に使われた十字架と釘を持っています。左側の天使は②大天使ミカエルで、ご受難の時に使われた槍と胆汁を入れた器と海綿を刺した草の茎を持っています。③聖母マリア様のヴェールの星ですが、聖母は「海の星」と称されており、天国の港に私達を導くために、闇夜にイエス様の光を放っています。④聖母マリア様の赤色の胴着ですが、イエス様の時代では未婚の女性が用いた色です。⑤聖母マリア様の紺色のマントですが、イエス様の時代では母親が用いた色です。⑥聖母マリア様の御目(おんめ)は、私達に視線を注がれ、私達のあらゆる悩みを心に留めておられます。⑦イエス様の御手(おんて)は、掌(たなごころ)を母である聖母マリア様の掌に向けておられます。これは、多くの恵みを聖母マリア様に委ねられたことを示しています。最後に⑧イエス様の足から落ちそうなサンダルですが、紐一本でつながっています。これは、紐一本でやっとつながって、イエス様にぶら下がっている人類の魂のシンボルです。写真が見にくいため、わかりづらいですね(汗)。
それでは、ここで「絶えざる御助けの聖母」の御絵について、先日掲載したものを再度掲載いたしますね。
「絶えざる御助けの聖母(たえざるおんたすけのせいぼ)」とは、キリスト教カトリック教会における聖母マリア様の称号であり、15世紀に描かれたイコンのことです。
15世紀のビザンティン美術を代表的するイコンで、オスマン帝国による統治を嫌ってクレタ島に逃れた画家によって、15世紀中頃に描かれたとされています。このイコンには、聖母マリア様、イエス様、大天使ミカエル、大天使ガブリエルなどが描かれています(写真)。
カトリック初台教会聖堂内に飾ってある「絶えざる御助けの聖母」の複製です。
このイコンは、ラツィオ州ローマ大都市圏ローマ市の聖アルフォンソ・デ・リゴリ教会にて、永久に保存され続けることになっており、聖アルフォンソ・デ・リゴリ教会では、毎週『絶えざる御助けの聖母へのノベナ』が唱えられています。
15世紀末にローマに移され、聖マタイ教会に掲げられていましたが、1789年に聖マタイ教会の聖堂が破壊されたことにともない、イコンは行方不明となっていました。ところが、1863年に発見され、聖マタイ教会跡地に建立された聖アルフォンソ・デ・リゴリ教会に掲げられることになりました。1865年、レデンプトール会の修道司祭らは、教皇ピウス9世からこのイコンの管理と広報を委託され、やがて、カトリック教会圏内においては、このイコンの人気が次第に高まり、多くの複製や模写が描かれ続けています。1867年6月23日、このイコンは教皇の権限において戴冠を受け、「絶えざる御助けの聖母」の称号のもとに聖母聖画として公認されました。レデンプトール会の修道司祭らは、今もなお教皇の権限によりこのイコンの管理・保護及び聖母マリアに関連する美術作品に関する広報活動を委託されています。」
さて、私が所有している御絵と初台教会の御絵に大きな違いがあります。それは、私の御絵にはイエス様と聖母マリア様は金の冠をつけておられますが、初台教会の御絵は、イエス様も聖母マリア様もつけておられません。なぜか?それは、1867年に教皇庁の指示によって画面の上に加筆されたそうです。理由は、絶えざる御助けの聖母マリア様の取り次ぎで、多くの奇跡が起こったことを記念するためだったそうです。現在は金の冠は取り外されています。
ちなみに、この御絵をご説明いたしますと、まず、右側の天使は①大天使ガブリエルで、ご受難の時に使われた十字架と釘を持っています。左側の天使は②大天使ミカエルで、ご受難の時に使われた槍と胆汁を入れた器と海綿を刺した草の茎を持っています。③聖母マリア様のヴェールの星ですが、聖母は「海の星」と称されており、天国の港に私達を導くために、闇夜にイエス様の光を放っています。④聖母マリア様の赤色の胴着ですが、イエス様の時代では未婚の女性が用いた色です。⑤聖母マリア様の紺色のマントですが、イエス様の時代では母親が用いた色です。⑥聖母マリア様の御目(おんめ)は、私達に視線を注がれ、私達のあらゆる悩みを心に留めておられます。⑦イエス様の御手(おんて)は、掌(たなごころ)を母である聖母マリア様の掌に向けておられます。これは、多くの恵みを聖母マリア様に委ねられたことを示しています。最後に⑧イエス様の足から落ちそうなサンダルですが、紐一本でつながっています。これは、紐一本でやっとつながって、イエス様にぶら下がっている人類の魂のシンボルです。写真が見にくいため、わかりづらいですね(汗)。
それでは、ここで「絶えざる御助けの聖母」の御絵について、先日掲載したものを再度掲載いたしますね。
「絶えざる御助けの聖母(たえざるおんたすけのせいぼ)」とは、キリスト教カトリック教会における聖母マリア様の称号であり、15世紀に描かれたイコンのことです。
15世紀のビザンティン美術を代表的するイコンで、オスマン帝国による統治を嫌ってクレタ島に逃れた画家によって、15世紀中頃に描かれたとされています。このイコンには、聖母マリア様、イエス様、大天使ミカエル、大天使ガブリエルなどが描かれています(写真)。
カトリック初台教会聖堂内に飾ってある「絶えざる御助けの聖母」の複製です。
このイコンは、ラツィオ州ローマ大都市圏ローマ市の聖アルフォンソ・デ・リゴリ教会にて、永久に保存され続けることになっており、聖アルフォンソ・デ・リゴリ教会では、毎週『絶えざる御助けの聖母へのノベナ』が唱えられています。
15世紀末にローマに移され、聖マタイ教会に掲げられていましたが、1789年に聖マタイ教会の聖堂が破壊されたことにともない、イコンは行方不明となっていました。ところが、1863年に発見され、聖マタイ教会跡地に建立された聖アルフォンソ・デ・リゴリ教会に掲げられることになりました。1865年、レデンプトール会の修道司祭らは、教皇ピウス9世からこのイコンの管理と広報を委託され、やがて、カトリック教会圏内においては、このイコンの人気が次第に高まり、多くの複製や模写が描かれ続けています。1867年6月23日、このイコンは教皇の権限において戴冠を受け、「絶えざる御助けの聖母」の称号のもとに聖母聖画として公認されました。レデンプトール会の修道司祭らは、今もなお教皇の権限によりこのイコンの管理・保護及び聖母マリアに関連する美術作品に関する広報活動を委託されています。」
さて、私が所有している御絵と初台教会の御絵に大きな違いがあります。それは、私の御絵にはイエス様と聖母マリア様は金の冠をつけておられますが、初台教会の御絵は、イエス様も聖母マリア様もつけておられません。なぜか?それは、1867年に教皇庁の指示によって画面の上に加筆されたそうです。理由は、絶えざる御助けの聖母マリア様の取り次ぎで、多くの奇跡が起こったことを記念するためだったそうです。現在は金の冠は取り外されています。