「キリストの聖体」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日6月11日は、「キリストの聖体」の祭日です。
「キリストの聖体」の祭日は、本来、「三位一体の主日」の週の木曜日に祝われますが、日本のようにキリスト者(クリスチャン)が少ない国では、平日にミサに参加するのが難しいため、日本のカトリック教会は木曜日ではなく、「三位一体」の主日(先週の土曜日の夜と日曜日)直後の日曜日に祝うように配慮しているのです。
「聖体の秘跡」は、「主の晩餐(ばんさん)」の記念が初代教会時代からとても大切にされてきました。イエス様の死という出来事が神に覚えられ、新たにされ、終末の成就が宣言されます。今日(今日夜と明日の日曜日)を祝う「キリストの聖体」の祝日が定められたのは、聖体に対する信心が高まった13世紀のことです。教皇ウルバノ4世が教令を発布した1264年から、この祭日はローマ教会全体で祝われるようになったのでした。。

初代教会から「パンを裂く」こと、「杯から飲む」ことの集いは、信徒たちにとってキリストに出会い、交わり、生きる糧をいただく最も大切な神秘として非常に大事にされてきました。今日、教会は、復活祭の季節をとおして記念したキリストの過ぎ越しの神秘をあらためて受け止めます。キリストの聖体の祭日は、教会が聖体と共に歩み、神にささげられていくという姿勢を受け止めなおす日です。キリストが偉大な賜物、聖体を与えてくださったことに、感謝と賛美をささげる日となります。

◯次の絵は、有名な『最後の晩餐』の絵は、レオナルド・ダ・ビンチの作品です。ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれたもので、420 x 910 cm の巨大なものです。フレスコ技法ではなく、乾いた漆喰にテンペラで描かれています。レオナルドは、1495年から制作に取りかかり、1498年に完成させました。
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イエス・キリストが、最後の晩餐で「あなた方によく言っておく。あなた方の一人が、わたしを裏切ろうとしている。」とお話しになった後、12人の使徒(弟子)たちが驚いている場面を画いています。画像が見にくいのでクリックして大きくして見て下さい。
左側から顔(頭の一位置)順に、バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ、ユダ、ペトロ、ヨハネ、イエス・キリスト、トマス、大ヤコブ、フィリポ、マタイ、タデオ(タダイ)、シモン、です。このユダ(イスカリオテのユダ)がイエス・キリストを裏切ったのです。

新約聖書の3つの福音書にある「最後の晩餐」の場面の記載箇所です。ミサにおいて行われるご聖体の拝領 = キリストの御体(おんからだ)とキリストの御血(おんち)= 「キリストの聖体」の拝領は、最後の晩餐において行われたことをミサにおいて再現しているのです。ただし、現在のミサでは、御血は司祭(神父様)だけが信徒を代表して拝領します。
<新約聖書の福音書にある「最後の晩餐」の記載>
◯新約聖書:マタイによる福音書・第26章・第26~第30節
「さて、夕方になると、イエスは十二人の弟子とともに食卓に着かれた。一同が食事をしていると、イエスは仰せになった。「あなた方によく言っておく。あなた方の一人が、わたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは深く心を痛め、「主よ、まさかわたしではないでしょう」と口々に言い始めた。イエスは答えて仰せになった。「わたしと一緒に鉢に手を浸した者がわたしを裏切る。まことに、人の子は、自分について書き記されているとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、不幸である。その人はむしろ生まれなかったほうがよかったであろう」。すると、裏切り者のユダが口を挟んで、「先生、まさかわたしではないでしょう」と言うと、イエスは仰せになった。「いや、そうだ」。さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美をささげて、それを裂き、弟子たちに与えて仰せになった。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また杯を取り、感謝をささげ、彼らに与えて仰せになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、罪の赦しのために、多くの人のために流される、わたしの血である。あなた方に言っておく。わたしの父の国で、あなた方とともに新たに飲むその日まで、今から後、ぶどうの実から造ったものを、決して飲まないであろう。」 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけていった。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯新約聖書:マルコによる福音書・第24章・第17~第26節
「さて、夕方になると、イエスは十二人とともに来られた。一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは仰せになった、「あなた方によく言っておく。あなたがたのうちの一人で、わたしとともに食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは深く心を痛め、「まさかわたしではないでしょう」と口々に言い出した。そこで、イエスは仰せになった。「十二人の一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者が、それである。人の子は、まことに書き記されているとおりに、人の子は去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は不幸である。むしろその人は、生まれなかったほうがよかったであろう。」
さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美をささげ、これを裂き、弟子たちに与えて仰せになった、「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝をささげて、彼らにお与えになった。彼らはみな、その杯から飲んだ。すると、イエスは仰せになった、「これはわたしの血、多くの人のために流される契約の血である。あなた方によく言っておく。神の国で新しいぶどう酒を飲むその日まで、私は二度とぶどうの実からできたものを飲むことはない。」そして、一同は賛美の歌を歌ってから、オリーブ山へ出かけた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯新約聖書:ルカによる福音書・第22章・第14~第23節
「さて、時刻になると、イエスは席に着かれ、使徒たちとともに席に着いた。イエスは仰せになった。「わたしは苦しみを受ける前に、あなた方とともに、この過越の食事をすることを切に望んでいた。あなたがたに言っておくが、神の国で過越が成就するまでは、もう二度と過越の食事をとることはない。」そして、イエスは杯を取り、感謝をささげて仰せになった。「これを取って、あなた方の間で回して飲みなさい。あなた方に言っておく。今から後、神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、決して飲まない。」
それから、イエスはパンを取り、感謝をささげて、それを裂き、使徒たちに与えて仰せになった。「これは、あなた方のために与えられる、わたしの体である。わたしの記念として行いなさい。」食事を終えると、杯も同じようにして仰せになった。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約である」。「しかし、見なさい。わたしを裏切る者が、わたしとともに食卓に手を置いている。人の子は定められたとおり去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は不幸である。」すると、彼らは、いったい自分たちの中の誰が、そんなことをしようとしているのかと、互いに議論をし始めた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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