新約聖書:マタイによる福音書・第10章・第14~第15節 [聖書]

◯新約聖書:マタイによる福音書・第10章・第14~第15節
「もしあなた方を受け入れなかったり、あなた方の言葉を聞こうとしない人がいたら、その家や町から立ち去るとき、足の塵を払い落としなさい。あなた方によく言っておく。裁きの日には、ソドムやゴモラの地のほうが、その町よりも軽い責め苦ですまされるであろう。」

次は他の福音書にある同じ内容の聖句です。
◯新約聖書:マルコによる福音書・第6章・第11~第15節
「もし、あなた方を歓迎せず、あなた方の言うことを聞こうともしないところがあったなら、そこから出ていくときに、彼らに対する証として、足の裏の塵を払い落としなさい。」
◯新約聖書:ルカによる福音書・第9章・第5節
「もし、誰もあなた方を受け入れてくれないなら、その町を出て行く時に、彼らに対する証として、足の塵を払い落としなさい。」
◯新約聖書:ルカによる福音書・第10章・第10~第12節
「しかし、ある町に入っても、人々があなた方を受け入れないなら、大通りに出てこう言いなさい。『わたしたちの足についているこの町の塵さえも払って、あなた方に残していく。しかし、神の国が近づいたことだけは知っておくがよい』。あなた方によく言っておくが、この町よりソドのほうが、軽い責め苦ですまされるであろう。」

まず、この聖句ですが、イエス・キリストが弟子たちに対して、福音宣教に派遣するに当たっての注意すべきことを述べている言葉です。そして、聖句中にあるソドムとゴモラですが、旧約聖書の『創世記』に登場する町の名前です。この2つの町の人々は、淫らな行いなど長い年月にわたり多くの罪を犯したため、神はこの2つの町に対して天から硫黄の火を降らせて焼き滅ぼしました。
そこで、この聖句を説明します。
「足の塵を払い落とす」ということは、「私には何の責任もありません。」ということの意思表明ですが、これを態度で示すためのジェスチャーですね。要は「私が話した福音の言葉を皆さんが受け入れなくても、その責任は私にはありません。」ということです。その上で、裁きの日には、その町よりもソドムとゴモラの方がまだ罰が軽いとお話しされています。「裁きの日」というのは、イエス・キリストがこの世に再臨し、生者と死者のすべてに<最後の審判>を行い、永遠の命がある御国(みくに・天の国)へ行く者と絶えることのない火が燃え盛る地獄に行く者とに選別する日のことです。
派遣された弟子たちが語っている言葉、つまりイエス・キイストが神の子であり、メシヤであるということやその教えを拒むことは、ソドムやゴモラよりも大きな罰を受けることになるということです。これは、弟子たちが語る福音の言葉は、イエス・キリストの救いの言葉であると同時に、神からの最終的な語りかけであるということを意味しています。

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