「聖ロベルト・ベラルミン司教教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日9月17日は、「聖ロベルト・ベラルミン司教教会博士」の任意の記念日です。
ロベルト・フランチェスコ・ロモロ・ベラルミン(イタリア:1542年-1621年)は、イエズス会司祭で、カトリック改革に最も功労のあった枢機卿の一人です。1930年に聖人および教会博士に列せられました。イタリアのモンテプルチャーノで10人兄弟の3番目に生まれ、教皇マルケルス2世の母方の甥にあたります。幼い頃から神童ぶりを発揮し、ラテン語が堪能で、バイオリンを弾き、ウェルギリウスを暗誦し、イタリア語やラテン語の詩を数多く書き、彼の書いたマグダラのマリアの賛歌は「聖務日課祈祷書」に収められるほどでした。
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1567年から1568年にかけてパドヴァ大学に在籍し、トマス・アクィナス神学を学びました。1560年にイエズス会に入り、1570年に叙階され、ベルギーのルーヴァンでトマス・アクィナスの『神学大全』を教え、有名な説教家となりました。このころ「神の恵みと人間の自由意志の問」題について、人間の意志の努力によって徳を積み、救いに達しようというペラギウス的発想を唱え、ベルギーの神学者バイウスと対立しました。プロテスタントの宗教改革者たちとの論争に備え、教会史、教父学、聖書学を研究して体系づけ、その後、1576年にイエズス会のナポリの管区長になり、1598年、クレメンス8世の時に枢機卿になりました。

神学者として公教要理をまとめて教会に大きな影響を与える一方、貧しい人びとを援助するために、自らは質素な生活を営んだそうです。優秀な学者であった彼は、ベニスでの反聖職者勢力との争い、そしてプロテスタントであるイギリスのジェームズ1世との対立の際、「教会と国との関係において、権威は、民衆のなかにあって、神から与えられたものである」と主張して使徒座を擁護しました。思想上、プロテスタント神学者たちと対立しましたが、彼らのために熱心に祈り、個人的に非難することはありませんでした。霊的指導者として聖アロイジオ・ゴンザガを助け、聖フランシスコ・サレジオが聖フランシスカ・ド・シャンタルと設立した「聖母訪問修女会」が聖座から正式認可されるために尽力しました。晩年には、信心や教訓的な多くの著作を残し、1621年にローマで亡くなりました。
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