「都旧跡 切支丹屋敷跡訪問」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日は、午後からお休みをいただき、文京区湯島にある東京医科歯科大学病院に行ってきました。その帰りに、最寄りの地下鉄丸ノ内線新お茶の水駅から3つ目の茗荷谷駅で下車し、同じ文京区の小日向にある「都旧跡 切支丹案屋敷跡」を訪れ、ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッチ宣教師のご冥福をお祈りしてきました。

屋敷跡といっても、碑が住宅地の中の道沿いにあるだけです。
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「切支丹屋敷(きりしたんやしき)」の起こりは、島原の乱(1637年~1638年)の5年後、イタリアの宣教師ペトロ・マルクエズら10人が筑前に漂着、すぐに捕縛されて江戸送りとなり、伝馬町の牢に入れられました。その後、徳川幕府の大目付・宗門改役の井上政重の下屋敷内に牢や番所などを建て、宣教師や信者などのキリシタンを幽閉する施設としたのが切支丹屋敷の起こりです。鎖国禁教政策の下で寛政4年(1792年)の宗門改役の廃止まで続きました。
宝永5年(1708年)イタリアのシドッチ宣教師が屋久島に渡来し、捕らえられて切支丹屋敷に入れられ、徳川幕府第6代将軍の徳川家宣に仕えていた新井白石は、シドッチ宣教師を尋問し、聴いたことを『西洋紀聞』にまとめました。2014年に実施した埋蔵文化財発掘調査において、3基の墓と人骨が出土し、そのうち1体についてはシドッチ宣教師である可能性が高いことが判明しました。

◯切支丹屋敷跡へのアクセス
地下鉄東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷」駅から徒歩で約8分、住所は東京都文京区小日向1-24-8です。道沿いにあります。
◯シドッチ宣教師の詳細
このブログの2021年3月12日に「親指のマリア(親指の聖母)のお話し」として詳しく書きましたので、次のアドレスをクリックしてお読み下さい。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-03-12
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