「聖クララおとめ」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日8月11日は、聖クララおとめの記念日です。このブログに一昨年の8月11日に掲載した「聖クララおとめのお話し」を再掲載いたします。アッシジのクララ(イタリア語名はキアラ:イタリア:1194年~1253年8月11日)は、聖人で、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会で崇敬されています。聖フランシスコ(アッシジのフランチェスコ)に最初に帰依した者の一人で、フランシスコ会の女子修道会クララ会(又はキアラ会)創設者です。目や眼病の守護聖人。絵画などでは聖体顕示台、聖体容器箱、ランプを持つ姿で描かれることが多いですね。記念日は今日8月11日です。

アッシジのサン・フランシスコ聖堂のシモーネ・マルティーニ作のフレスコ画です。
聖クララ.jpg
クララは、サッソ=ロッソ伯ファヴォリーノの娘として、アッシジで生まれました。母オルトラーナは非常に敬虔な女性で、後に娘クララが創設した修道院へ入りました。1210年、クララはアッシジの路上で、フランシスコの説教を聴き、その言葉に心を動かされたことがきっかけとなって、フランシスコの指導を仰いで修道生活に入りました。妹のアグネス(後に列聖)も両親の元を離れ、クララに従って清貧の女性修道会を創立しました。

修道女として、彼女はフランシスコ会の厳しい誓約よりさらに聖ベネディクト会則に密接に似ている誓約を負わす高位聖職者の試みから自分の典礼を守りました。クララは精神的な父とも仰ぐフランシスコの助けと励ましを受け、注目を集める役割を演じました。1226年にフランシスコが亡くなるまで病に伏した彼の看病をしました。フランシスコの死後は、修道会の成長を奨励し続け、クララは修道院の院長として、長く体調が優れなかったにもかかわらず、聖フランシスコの精神のもとに会員を導き、その生涯をささげました。特に聖フランシスコへの忠誠で知られ、「もう一人のフランシスコ」と呼ばれました。

1253年、インノケンティウス4世教皇がクララ会則を承認した2日後の8月11日、クララは59歳で亡くなりました。1255年8月15日、アレクサンデル4世教皇は、“アッシジの聖クララ”として列聖しました。1263年、ウルバヌス4世教皇は、清貧の女性修道会の名を、公式に「聖クララ会(又はキアラ会)」に変更しました。現在、日本では上越市、桐生市、八王子市、西宮市、小郡市に聖クララ会があり、観想的な生活を送っているそうです。
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