旧約聖書:詩編・第32編 [聖書]

2016年4月13日に、カトリック麹町・聖イグナチ教会の大聖堂内にある告解室において、聴罪司祭(ちょうざいしさい:神父様)に「告解(こっかい)」をして赦しを乞いました(赦しの秘跡)。その時に聴罪司祭からお祈りするように教えられたのが、次の旧約聖書にある詩篇・第32章です。赦された罪を忘れないように再掲載しました。

「いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう
主に咎(とが)を数えられず、心に欺き(あざむき)のない人は。
わたしは黙し続けて
絶え間ない呻き(うめき)に骨まで朽ち果てました。
御手は昼も夜もわたしの上に重く
わたしの力は
夏の日照りにあって衰え果てました。
わたしは罪をあなたに示し
咎を隠しませんでした。
わたしは言いました
「主にわたしの背きを告白しよう」と。
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを
赦してくださいました。
あなたの慈しみに生きる人は皆
あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。
大水が溢れ流れるときにも
その人に及ぶことは決してありません。
あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって
わたしを囲んでくださる方。
わたしはあなたを目覚めさせ
行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
分別のない馬や騾馬(らば)のようにふるまうな。
それは轡(くつわ)と手綱で動きを抑えねばならない。
そのようなものをあなたに近づけるな。
神に逆らう者は悩みが多く
主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
神に従う人よ、主によって喜び躍れ。
すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。」
【咎(とが)】
人から責められたり非難されたりするような行為。罰されるべき行為や欠点。「盗みの―で捕らえられる」。
【欺き(あざむき)】
真実からそれるような真実を誤らせる言明。紛らわしい虚偽のこと。
【呻き(うめき)】
痛さや苦しさのあまり、低い声をもらす。「下腹を押さえて―」

「告解(こっかい)」とは、キリスト教カトリック教会における7つある「秘跡(ひせき)」の1つで、「ゆるしの秘跡」といいます。カトリック教会での告解の位置付けはとても重要で、大罪を犯した場合はもちろんですが、年に一度、例えば「降誕祭(クリスマス:イエス・キリストの誕生)」や「復活祭(イースター:イエス・キリストの復活)」など、一年をとおして重要な節目を迎える前に告解を行うべきものとされています。告解は、カトリック教会の洗礼を受けた人だけしかできません。司祭(神父様)が告解を信徒に授けます。

私たちは、生きていくうちにいろんな罪を犯します。悪意をもって相手を陥れたり、取り返しのつかない大きな罪も犯しますが、人を恨んでしまったり、言葉で相手の心に傷つけてしまったりなど、小さな罪も犯します。その罪の告白を通して、その罪における神様からの赦しと和解を得ることが告解です。
よく「懺悔(ざんげ)」と間違う人がいますが、懺悔はカトリック教会では使われず、カトリック教会の宗教的意味は全くありません。そして、お祈りの中で罪を認めるときは「罪の告白」といいます。ですからカトリック教会では告解はとても大切な秘跡ですので、「告解」=「懺悔」ではないと考えられます。わかりやすく言えば懺悔は”ごめんなさい”と謝ることですね。告解は今までの行いや言動を振り返り、誤り・罪を認め神様に赦していただくことです。告解の最後に「あなたの罪は赦されました。」と聴罪司祭(神父様)が言います。これは罪の赦しを意味しています。

◯「7つの秘跡」とは、次のとおりです。
1.「洗礼の秘跡」
洗礼の秘跡は、水を注ぐという目に見えるシンボルによって、人が神のいのちに新たに生まれるという目に見えない神の恵みをあらわします。

2.「聖体の秘跡」
聖体(聖餐)は、共に食事をするという目に見えるシンボルをとおして、キリストのいのちをいただき、永遠のいのちの交わりを先取りするという神の恵みをあらわします。聖体の秘跡は、“秘跡の中の秘跡”と言われています。

3.「堅信(けんしん)の秘跡」
堅信は、洗礼を受けた者に聖香油を額に十字架のしるしをするという目に見えるシンボルが、信仰を強め、聖霊が与えられるという恵みをあらわします。

4.「ゆるしの秘跡」
ゆるしの秘跡は、司祭のもとで、自分の犯した罪を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。この秘跡は、回心、悔い改め、和解、いやしの秘跡とも呼ばれています。ゆるしの秘跡に必要な行為は、①痛悔(犯した罪を悔やむこと)、②司祭への罪の告白、③償いをはたす決意、およびその実行です。ゆるしの秘跡には、個別のゆるしの式と共同回心式があります。前者は、ゆるしの秘跡を求める個人と神との出会いを重視します。それにくらべて、共同回心式は、ゆるしの秘跡の教会的な面をあらわしています。この式は、共同体の祈りの中で行われます。
共同回心式は、個人の罪だけでなく、教会共同体の連帯性について考え、共同体の上に神のゆるしを求めるのです。また、ゆるしを神に求めるだけでなく、兄弟姉妹にもゆるしを求めることを意識させてくれるもので、通常、主の降誕祭や主の復活という大きな祭日に向けての準備として、待降節や四旬節の間に行われます。

5.「叙階(じょかい)の秘跡」
叙階は、教会の頭であるキリストご自身の代理として、またキリストと教会の名によって、教会共同体に奉仕する司祭を派遣するための恵みをあらわす秘跡です。そのしるしは司教の按手であり、それによって役務に必要な聖霊の恵みが授けられます。司祭は、キリスト者共同体が世界のための救いのしるしとなるように、特別に心を配る人たちです。洗礼を受けたキリスト者は、すべてキリストの司祭職にあずかっていますが、叙階の秘跡により授かる司祭職もあります。
その人たちは、司教、司祭、助祭です。
・司祭は、聖体祭儀を行い、洗礼、ゆるしの秘跡、病者の塗油を授けて種々の祝福を与えます。
・司教は、上記の他に叙階の秘跡も授けます。
・助祭は、聖体祭儀で司祭を助け、洗礼と聖体の秘跡を授ける任務が与えられています。
司祭と助祭は司教のもとにあり、神の言葉を告げる役目をもっています。

6.「結婚の秘跡」
結婚は、結婚する2人が目に見える契りのしるしをとおして、神の新しい創造のわざがなされます。結ばれる2人は、神と人々の前で誓約を交わします。2人で築く共同体と家庭生活で、神への愛と人々への愛が具体的に実現されます。結婚はキリストと教会との一致をあらわします。

7.「病者の塗油(とゆ)の秘跡」
病者の塗油は、重い病気、あるいは高齢のために困難があるとき、死がせまっているときに、病人の額と手に司教が祝福された油を塗り、特別な恵みを願い、主キリストの受難と死が病人を強め、復活の喜びに導いてくれるように祈ります。
以上です。
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