内村鑑三のことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「人生にとって一番の幸福とは何か?
それは自分の天職を知って、
これを実行に移すことである。」

内村鑑三(うちむら かんぞう:1861年~1930年)は、キリスト教無教会主義のクリスチャンで、文学者、キリスト教思想家、キリスト教伝道者、聖書学者、福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自の無教会主義を唱えた方です。明治維新前の江戸時代末期1861年(万延2年)、高崎藩士内村宜之とヤソの6男1女の長男として江戸小石川の武士長屋に生まれました。“三度自己を鑑みる”という意味で父親の宜之が「鑑三」と名付けたと言われています。

単身上京して、東京大学予備門(後に有名になる新渡戸稲造、宮部金吾などと同級生)に入学して3年後の1876年、北海道開拓にあたる技術者を急造する目的で札幌農学校が創立されたのを期に入学しました。内村ら二期生が入学する前までに、農学校に教頭として在校していたウィリアム・スミス・クラーク(クラーク博士)ら「お雇い外国人」の強い感化力によって、第一期生は既にキリスト教に改宗していましたが、キリスト教への改宗を拒んでいた内村も、新渡戸稲造と宮部金吾が署名したことがきっかけで、ほとんど強制的に「イエスを信ずる者の契約」という文書に署名させられ、キリスト教に改宗しました。札幌には教会がなかったので、牧師の役を交代して、毎日曜日の礼拝を学内で開き、水曜日には祈祷会を開いていました。キリスト教に改宗することによって、若い内村は神社を見るたびに頭を下げずに済むようになったことを喜んだそうです。

内村は、ペンシルベニア大学で医学と生物学を学び、医者になる道を考えていたそうですが、米国滞在中の新島襄の勧めで、新島の母校でもあるアマースト大学に選科生として3年に編入し、新島の恩師J・H・シーリーの下で伝道者になる道を選びました。生涯をとおして、多くの政治家、実業家、教育者などに影響を与えた人物として有名ですね。東海大学創立者である松前重義氏も、内村鑑三の思想に感銘を受け影響を受けた一人です。
著作は多くあり、特に次のものは有名で、当時の日本人、特に多くの青年に影響を与えたものです。是非ご一読をお勧めいたします。
『余は如何にして基督信徒となりし乎』(岩波文庫)
『代表的日本人』(岩波文庫)
『基督信徒のなぐさめ』(岩波文庫)
『後世への最大遺物』(岩波文庫)
『デンマルク国の話』(岩波文庫)

“幸せである”と定義づける内容は人それぞれだと思いますが、内村はそれを「天職を知って実行すること。」と説いています。天職とは、その人が生まれ持った性格(天性)に合った職業ということです。この天職は、いわゆる生計を立てるための仕事を指していますが、その他に“生涯をとおしての活動”、社会貢献活動、地域貢献活動などに置き換えることもできると思います。それを行うこと、実践することが人生にとって幸せということですね。
私は、ひとたびこの世に生を受けたのであれば、人のために、世の中のために尽くして役に立つことは、人として当たり前のことと思いますし、その活動を行うことが自分にとって“幸せ”の一つであると確信しています。
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