「福者ペトロ岐部司祭と187殉教者」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日、7月1日は「福者ペトロ岐部司祭と187殉教者」の記念日です。
1603年から1639年にかけて、日本各地で殉教した日本人のカトリック司祭・修道者・信徒で、2008年に長崎市で行われた列福式でカトリック教会の福者に列せられた188人のキリシタンの総称です。司祭になるべくローマへ徒歩で行ったペトロ岐部や、天正遣欧少年使節の一人である中浦ジュリアンらを含みます。
江戸時代(徳川幕府)のキリスト教禁教政策で、1603年から1639年にかけて各地で殉教した5人の司祭及び修道者の他、武士や町人などさまざまな身分の183人の老若男女の信徒(キリシタン)が含まれています。2007年6月1日に当時のローマ教皇ベネディクト16世が列福を承認する教令に署名し、20080年(平成20年)11月24日に長崎県長崎市の長崎県営野球場で列福式が執り行われました。列福式には、ローマ教皇代理として元教皇庁列聖省長官のジョゼ・サライバ・マルティンス枢機卿が来日して司式しました。
◯福者ペトロ岐部司祭
ペトロ 岐部(ペトロきべ・本名: 岐部茂勝(きべ しげかつ)、1587年(天正15年)〜1639年7月4日(寛永16年6月4日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてのキリスト教カトリック教会の司祭です。司祭になるべくローマへ向かう途上、日本人として初めてエルサレムを訪問するなど、近世初頭の日本人の中で最も世界を渡り歩いたため、「日本のマルコ・ポーロ」、「世界を歩いたキリシタン」ともいわれています。

『福者ペトロ岐部と187殉教者の取り次ぎを願い、その列聖を求める祈り』
「いつくしみ深い父よ、
福者ペトロ岐部と一八七殉教者は、
復活のいのちを約束してくださるあなたの愛に希望を置き、
自らキリストの十字架を担い、
その死を身に帯びる生き方を選びました。
殉教者の取り次ぎによって祈ります。
現代に生きるわたしたちが、
どのような困難なときにも聖霊の助けに信頼し、
キリストに従い、
あなたへの道をひたすら歩むことができますように。
また殉教者のあかしが、
世界に生きるすべての人の希望となるよう、
ペトロ岐部と一八七殉教者を、
一日も早く聖人の列に加えてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」
(2008年6月5日日本カトリック司教協議会認可)
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