リジューの聖テレーズのことば(第1日目) [聖人・福者・尊者]

「親切をしても、
少しも感謝を表してもらえないときに起こる、
時として抑えることのできない不愉快な感情に、
わたしは決して、とらわれません。
この世では何の報酬も期待していませんから。
わたしはどんなことも、神さまのためにします。
そうすると、失うものは何もありません。
隣人に仕えるためにした苦労について、
わたしはいつでも、とてもよく報われています。」

リジューの聖テレーズ(フランス: 1873年~1897年)は、キリスト教カトリックのカルメル会(フランス)の修道女で、本名はマリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタンといいます。修道名は「幼きイエスのテレーズ」という名です。カトリック教会の「聖人」に列せられ、カトリック教会に列せられた33人の「教会博士」の一人でもあります。
テレーズの晩年は肺結核が悪化し、1897年9月30日に 24歳で亡くなりました。テレーズは亡くなる際、「もう苦しむことができなくなりました。苦しみはすべて、私にとって甘美なのですから。」と語ったと伝えられます。
24歳で他界した後、自伝『ある魂の物語』が出版され、テレーズの遺志は世の人々に知られることになりました。若くして世を去りましたが、その著作は今日でも世界中で広く読まれ、日本でも人気のある聖人の一人になっています。記念日は10月1日で、「リジューのテレジア」、「幼きイエスのテレーズ(テレジア)」、「小さき花のテレジア」などとも呼ばれています。テレーズに関する書籍は、東京女子跣足カルメル会訳で『幼いイエスの聖テレーズ自叙伝 その三つの原稿』(ドン・ボスコ社、1996年)など、他にも多数あります。

人に親切にする、人を助ける、人に力を貸すなどの行為を行う。すると、私達人間は、褒めてもらう、感謝してもらう、喜んでもらうなど、このようなことを心の奥底で期待してしまうのです。そして相手が期待どおり表明してくれないと不満に思ったり、不愉快になったり、不機嫌になってしまいます。善い行いをしたことに“見返り”のようなことを期待しては、本当の“隣人愛”にはなりません。神様に報われていると思えば、何事も心に葛藤することはないのですね。すべては神様がご存じなのですから。
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