円谷幸吉のことば [非キリスト者(ノンクリスチャン)]

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴い、「2020東京オリンピック・パラリンピック」が来年に延期となりました。非常に残念ではありますが、中止になったわけではありません。そこで、今日は、オリンピックのマラソン選手として有名な円谷幸吉のお話しをしましょう。

「怖いのは、抜くことです。二度、三度せりかけて、抜けない場合は自分のペースを乱し、相手を調子づかせてしまう。
ヘタに抜くなら、抜かない方がよい。
後ろにぴたり付かれたら、負けたことを意味する
抜いたら後は、いかに早く射程距離外に逃れ去るかです。」

円谷 幸吉(つぶらや こうきち<本名:つむらや こうきち>1940年~1968年)は、福島県出身の陸上競技(長距離走・マラソン)選手で、陸上自衛官(自衛隊体育学校所属、2等陸尉)です。東京オリンピックのマラソン競技で銅メダルを獲得しました。中央大学経済学部を卒業。
この言葉は、私なんかが読んで頭で理解できても、陸上・マラソンを経験してる人でないと、実際の大変さは分からないですね。箱根駅伝やいろいろなマラソン大会をテレビで見ていると、よくこのようなシーンに出会いますが選手は大変です。“駆け引き”というのでしょうが、これがないと順位はかわりませんね。

ところで、円谷は、メキシコオリンピックの開催年の1969年(昭和43年)1月9日、自衛隊体育学校宿舎の自室においてカミソリで頚動脈を切って自殺しました。27歳という若さでした。
「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」から始まり、「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれている遺書にしたためた家族達への感謝と、特に「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」の言葉は、当時の世間に衝撃を与え、多くの国民の涙を誘ったそうです。

遺書の全文(原文)を掲載します。
「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」

現在のようなスポーツ医学や工学、スポーツ心理学、運動生理学、スポーツ栄養学、コーチング学などのスポーツ科学分野の学問が発達し、トレーニングに取り入れられている時代であれば、決して自殺するようなことはなかったのではないかと思われます。円谷の自殺を切っ掛けにして、日本のスポーツ界にもメンタルケアなどの技術が導入されたとのことです。我々日本人は、円谷の貴い死が、日本のスポーツ界を世界レベルに引き上げたことを絶対に忘れてはいけません。
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