「ピラールの聖母」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

「ピラールの聖母」は、西暦40年にスペインのサラゴサで起こった<聖母の出現>のことです。「ピラール(Pilar)」は、スペイン語で「柱」を意味し、聖母マリア様が柱上に出現したことに因んで名付けられたそうです。「柱の聖母」又は「柱上の聖母」とも呼ばれています。聖母マリア様のご出現の最初の例であり、ご存命中の唯一のご出現となりました。聖地は、スペインのエブロ川の近くにあるヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂です。ピラールの聖母は、現在スペイン及びヒスパニック世界の守護聖人とされています。

フランシスコ・デ・ゴヤ作の「ピラールの聖母の出現」です。
ピラーレの聖母2.jpg
ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂にある「ピラールの聖母」です。聖母像については、それが本物かどうかの真偽は定かではありません。 本物の木像は1434の教会が火災に会った時に燃えてしまったとする説もあり、また、反対に他の説では現在もの木像は当時のものであると主張するものもあるようです。聖母マリアの像は木製で高さは39センチ、左手に子供のイエスを抱いており、そのイエスの左手にはハトが止まっています。柱は高さ1.8mの碧玉の木で作られており、16世紀以来、柱は通常スカートの形をしたマントが被せてあります。
ピレールの聖母.jpg
伝統的な古代スペインの伝統によると、西暦40年10月12日、初代キリスト教会の時代、イエス・キリストの12使徒の一人であった聖大ヤコブは、まだ異教の地であったローマ帝国属州ヒスパニアのカエサラウグスタ(現在のスペイン・サラゴサ)で福音を説いていました。聖大ヤコブは改宗者が少なかったので落胆していましたが、彼が弟子の何人かとエブロ川岸によって祈る間、聖母マリア様が天使を連れて柱の上に出現すると言う奇蹟が起こったとのことです。(聖大ヤコブのスペイン宣教の確たる証拠はありません)

聖母マリア様は、聖大ヤコブに「人々は最終的に改宗するであろう、そして彼らの信仰は今私が立っている柱と同じぐらい強くなるであろう。」とお話しになり、聖大ヤコブにその柱と木彫りの木像を与えたということです。聖大ヤコブもまた聖母マリア様が残した柱があったところに教会を建設したそうです。一般的に信じられているのは、当時聖母マリア様は存命中で、エフェソスかエルサレムで暮らされており、聖母マリア様が聖大ヤコブに現れたのは、同時に2か所以上に存在できる力を使ったのであろうということです。

聖母マリア様が亡くなったのは、イエス・キリストの死後3年から15年後だと推測されますが、教会が建てられた後、聖大ヤコブは数人の弟子と共にエルサレムに戻り殉教しています。その後、大聖ヤコブの遺体を乗せた船は、スペインの地にたどり着いたとの伝説があります。エルサレムでの殉教については、聖書にユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられ、殉教したという記述がありますので確かなのですが、前述したように聖大ヤコブのスペイン宣教の確たる証拠はありません。
「ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂」です。現在のサラゴサにある聖堂の建設は、1681年に始まり1711年に完成しました。大きさは縦130m、横幅67mとなっています。
seidou.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。