新約聖書:ヤコブの手紙・第3章・第2〜第12節 [聖書]

「言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です。馬を御するには、口にくつわをはめれば、その体全体を意のままに動かすことができます。また、船を御覧なさい。あのように大きくて、強風に吹きまくられている船も、舵取りは、ごく小さい舵で意のままに操ります。
同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。しかし、舌を制御できる人は一人もいません。
舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。わたしの兄弟たち、このようなことがあってはなりません。泉の同じ穴から、甘い水と苦い水がわき出るでしょうか。わたしの兄弟たち、いちじくの木がオリーブの実を結び、ぶどうの木がいちじくの実を結ぶことができるでしょうか。塩水が甘い水を作ることもできません。」

このブログに3回目の掲載となります。今も昔も「口は災いの元(くちはわざわいのもと)」に変わりはありませんね。人間関係を良くするも悪くするも、口から発声した「言葉」しだいです。どんなの言葉でも、大切なことは「その言葉に人を思い遣る心があるか。」ですね。これを「慈しみの心」と言います。この心があれば相手を傷つけることはありません。難しいことかもしれませんが、普段からどんな小さなことでも気を配っていればできるようになると思います………が、まったく私の一番自戒とすることです。60歳になってもいつも反省です。“お節介焼き”な性格の私には、「言い過ぎ」と「言葉足らず」も同じですね。今日の聖書の言葉は身に浸みます(⌒-⌒; )

【くつわ(轡)】
馬具(ばぐ)の一種で、馬の口にはめて手綱(たづな)をつなぎ、馬を制御するための金具のこと。
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