『踏絵を踏んだキリシタン』のご紹介! [キリスト教と読書]

ユネスコの世界遺産委員会は、日本時間の6月30日夕方、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の12の構成資産すべてを世界文化遺産に登録することを決めました\(^O^)/
そこで今日は、この時期にタイムリーに出版された『踏絵を踏んだキリシタン』をご紹介します。著者の安高啓明氏は、国立大学法人熊本大学文学部歴史学科(歴史資料学コース)の准教授です。専門分野は、日本近世史・法制史、博物館史です。
読み終わっての感想ですが、随分とキリシタン分野の研究が進んでいると感じました。潜伏キリシタンは、「踏絵」を踏んでもキリスト教の信仰を捨てず、仏教徒であるかのように偽装していたのですね。
(; ̄O ̄) 禁教になった初期の頃とは違い、時代が進むにつれて踏絵を踏むことは形式化、形骸化していったようです。特に「絵踏(えふみ)」と「踏絵(ふみえ)」の言葉の違いなど、興味深く読ませていただきました。ちなみに、「潜伏キリシタン」は馴染めないですね〜。子どものころ、社会(歴史)の授業で、すべてを「隠れキリシタン」と習いましたからね〜( ̄◇ ̄;)
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書名:歴史文化ライブラリー469『踏絵を踏んだキリシタン』
著者:安高啓明
出版社:吉川弘文館
出版日:2018年6月13日
定価:1,800+税

<吉川弘文館のホームページから>
キリスト教信者摘発のために始まった絵踏は、なぜ形骸化し年中行事となったのか。絵踏が行なわれていた長崎をはじめ九州諸藩が抱える事情や作法・形態・手順、踏絵素材の変更などを明らかにし、キリシタン捜索手段から信者でないことを証明する手段への変容過程を探る。悲劇的文脈で語られてきた従来の絵踏観に一石を投じ、潜伏キリシタンの姿に迫る。
<目次>
踏絵なのか、絵踏なのか―プロローグ/日本キリスト教史のなかの禁教史(キリスト教伝来と布教活動/禁教令の起源と展開/宗門改と絵踏/潜伏キリシタンの露顕/修好条約締結と禁教政策の緩和)/禁教政策の最前線の長崎(長崎の二つの支配体制/踏絵の主題と図像/長崎奉行はどのように踏絵を管理し、実施したのか)/踏絵を所持した藩 小倉藩・熊本藩(禁教・宗門改を特別視しなかった小倉判藩/踏絵の〝質〟にこだわった熊本藩)/踏絵を借りた肥前国の藩 平戸藩・福江(五島)藩・島原藩・大村藩(踏絵の貸与をめぐるロビー活動をした平戸藩/借りた踏絵を失くした福江藩/島原天草一揆の呪縛と島原藩/郡崩れの経験が転機となった大村藩)/踏絵を借りた豊後国の藩と預かり地 豊後国七藩・天草・五箇荘(キリスト教色の強かった豊後国七藩/絵踏と影踏が交錯する天草/〝辺境の地〟五箇荘で絵踏を行なうには)/外国人と踏絵(絵踏は海外でどのように紹介されていたのか/絵踏を強要された唐人とされなかったオランダ人/漂流民への絵踏/絵踏を描いたシーボルトと川原慶賀)/明治以降の踏絵(〝負の遺産〟踏絵の移管事情/踏絵の陳列・公開とキリシタンブーム/踏絵の文学作品『沈黙』とその世界観)/踏絵の持つ意味―エピローグ
本物の「踏絵」です。詳細は、このブログの平成29年10月6日に掲載した「踏絵の土鈴のお話し」をご覧ください。
踏み絵.jpg
【キリシタン】
元々はポルトガル語で「キリスト教徒」という意味で、英語では「クリスチャン(Christian)」となります。キリスト教徒全般を指す名詞ですが、実際に使われるのは、戦国時代以後、日本に伝来したキリスト教カトリックの信者・伝道者またその働きについのことです。漢字では“吉利支丹”又は“切支丹”という表記が一般的です。現在の日本では、「キリシタン」という言葉は、キリシタン大名、潜伏キリシタンや隠れキリシタンなど歴史用語として使用されており、現代においてはキリスト教徒を指す場合は「クリスチャン(Christian)=キリスト者」と言います。

【潜伏キリシタン】
「潜伏(せんぷく)キリシタン」とは、江戸時代(から明治初期にかけて)キリスト教の禁教令が出た後も表面的には仏教徒を装いながら、キリシタンであることを隠し続けた人たちのことです。つまり、キリスト教徒であることを捨てなかった人達のことです。指導者(司祭や修道士)が一人もいない状況下にあって、禁教が説かれるまでの約230年もの長い間、キリスト教の信仰を守り続けました。生きるためには仏教徒であることを表向きは受け入れ、潜伏した状態でキリスト教を信仰した人々です。

【隠れキリシタン】
「隠れ(かくれ)キリシタン」とは、仏教徒を装っていた点では「潜伏キリシタン」と一緒ですが、1873年(明治6年)にキリスト教の禁教の高札が撤廃されキリスト教が黙認されるようになったあとも、カトリック教会に戻ることなく独自の信仰形態を続けた人々のことです。もともとキリシタンだったのに、こっそりと信仰を続けているうちに日本の昔ながらの民俗信仰などの影響を受け、独自の変化を遂げてしまった、ということが背景にあります。カトリック教会に戻らなかったのも、カトリックとは異なる独自の宗教になってしまっていたからかもしれませんね。
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コメント 2

セラ

以前は隠れキリシタンや潜伏キリシタンに敬意をもっていましたが
途中でずるい人たちという結論にいたりました。
全面否定はしませんが、そういった面もあるから人を裏切ることも出来たんだろうと思います。殺し方が残忍でしたし厳しい評価はしてませんが。
by セラ (2019-04-25 16:16) 

アウグスティヌス

セラ様
いろいろな議論や評価はあっていいと思います。でも、どういう形であれ、厳しい環境で信仰を貫いたことは貴いことだと思います。
by アウグスティヌス (2019-04-26 07:46) 

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