新約聖書:マタイによる福音書・第18章・第21〜第35節 [聖書]

私の人生における克服すべき課題の一つに「人を赦すこと。」があります。このブログのタイトルに「愛と赦し」とあるのは、第一に「隣人への愛」と「人への赦し」がイエス・キリストの最大の教えであること。第二にこの「愛と赦し」が私の人生における課題であり信仰生活における糧としているからです。
2012年に洗礼を受けてから随分と人を赦せるようになりましたが、それでもまだ赦すという意識に躊躇する時があります。やはり、人生における永遠の課題なのでしょうか。これは、人を赦すことがいかに難しいかということですね。人を赦すことが簡単にできるなら、何も人生における課題にはなりませんね。
人を赦すことがどれほど難しいか、誰もが経験されていることだと思います。今まで生きてきて、どれだけの人を赦してこなかったか。肉親であるはずの親兄弟・家族でさえ、たまに ” 赦せない部分 ” を見つけてしまうことがあります。肉親でさえ赦せないと思うのですから、他人であればなおさら赦すことが難しくなりますよね。それでも、イエス・キリストは次のとおり「とことん赦しなさい。」と説いておられます。

◯新約聖書:マタイによる福音書・第18章・第21~第35節
「その時、ペトロが近寄ってきて、イエスに尋ねた。「主よ、わたしの兄弟が私に罪を犯した場合、何度、赦さなければなりませんか。七回までですか」。イエスはお答えになった、「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までである。それ故、天の国は次のように喩えられる。
「一人の王が僕たちと貸借の決済をしようとした。決済が始まると、一万タラントンの負債のある者が王の前に連れ出された。しかし、返済することができなかったので、主人はその人自身と、その妻や子もたち、および所有物すべて売って、返済するように命じた。この僕はひれ伏し、『もうしばらくお待ちください。きっと全部お返ししますから』と哀願した。そこで、その僕の主人は憐れに思って、彼を赦し、借金を免じてやった。
ところが、この僕は外に出ると、自分に百デナリオンの負債のある同僚に出会った。彼はその同僚の喉元を絞めつけ、『借金を返せ』と言った。この同僚はひれ伏して、『もうしばらく待ってくれ、返すから』としきりに願った。しかし、彼は承知せず、その同僚を引き立てていき、負債を返すまでといって牢獄に入れた。この一部始終を見てい同僚らは大いに心を痛め、主君の前に出て、事の次第を告げた。
そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『不届きな僕だ。お前が嘆願したから、わたしは負債をいっさい免じてやった。わたしがお前を憐れんだように、お前もあの仲間を憐れむべきではなかったか。』主人は怒って、負債を全部返すまでといって、彼を拷問係りに引き渡した。もしあなた方の一人ひとりが、自分の兄弟を心から赦さないなら、天におられるわたしの父も、あなた方に対して同じようになさるであろう。」
『原文校訂口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

これは聖句(イエス・キリストの言葉)です。イエス・キリストは、使徒(弟子)のペトロの質問に対して「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」と説いておられます。7回✕70倍=490回は喩え(たとえ)ですね。とにかく、徹底して赦しなさいと説いているのです。そこには赦す条件など微塵もないのです。この喩え話しですが、「王」とあるのは神様のことで、「僕」とは私たちのこと(罪人のこと)、「負債」とは罪のことです。「負債を帳消しにする」とは、すべての罪を赦すという解釈となります。ここでいう「兄弟」とは、隣人を含めて自分に関係する人などのことです。「天の父」とはイエス・キリストの父なる神様のことです。

ちなみに、「一万タラントン借金している」とありますが、約2000年前のことですが具体的にどのくらいの程度の金額になるのか計算してみましょう。
<10,000タラントンとはどのくらいの金額なのか?>
2,000年前当時の価値観や物価が違いすぎますから比較にはなりませんが( ̄▽ ̄;)、無謀であることは承知の上で、無理やりこれを現代の金額に換算してみます。
日本のサラリーマンの平均年収が4,673,000円(令和元年度)です。これを1年365日毎日働いたとすると、4,673,000円/365日で、1日分の賃金が12,803円となります。1タラントンは6,000デナリオンで、当時1デナリオンは1日分の賃金ですから、1デナリオン・12,803円×6,000デナリオン=1タラントン・76,818,000円となります。そうるすと、1タラントン・76,818,000×10,000タラントン=768,180,000,000円となります。7,681億8千万円です。この計算方式が間違っていなければ考えられない金額となりますΣ( ̄ロ ̄lll)

王は「こんな返済不可能のような莫大な借金を帳消しにしてやったのに、たかが100デナリオン=100日分の賃金くらいの借金を赦さないとは何事か!」ということですね。これは借金の返済を喩え話しにしているのですが、これを聖書本文の解釈 = 神様の言葉にすると、「このような大きな罪を犯したのを赦してやったのに、隣人の極めて小さな罪を赦さないとは何事か!」ということになります。
私たちは、今まで赦してもらいたいと思ったことがあったはずです。実際に赦してもらったこともあるはずです。そして、これからも赦してもらいたいと願う時が必ずも来ます。それは必ず来るのです。その時に赦してもらいたいなら、普段から人を赦すべきなのです。憎しみや恨みをもって毎日生活をしていても良いことは何もないですね。赦しましょう。とにかく赦すことです。人を赦さないのなら、自分も赦されないのです。

◯ジャン・ガロ著、大滝玲子訳『愛のいのり』から
出版:女子パウロ会・1981年・182ページ・税込み756円
“ 人を赦すことを教えてください! ”
「主が、私たちを赦してくださるように、
私たちにも、人を赦すことを教えてください。
ほんのわずかな間でも、
恨みを心に留めることなく、
すぐに赦すことを教えてください。

口先だけでなく、心の底から、
すっかり赦すことを教えてください。
条件をつけたり限定したりせずに、
完全に赦すことを教えてください。
いったん赦したら、
決して過去のことを持ち出したりせず、
すべてを水に流して、
赦すことを教えてください。

真心から赦すことを教えてください。
無礼や侮辱など、
全く受けなかったかのように、
その人に接することができる力を与えてください。
私自身も、多くのことで
人に赦してもらわなければならないのです。

どうか、謙虚な心で赦すことを教えてください。
私に害を加えた人を、まえ以上に大切にし、
その人のために祈りながら、
寛容に赦すことを教えてください。
何度でも、際限なく赦す、
忍耐深さを与えてください。
主よ、人を赦すことを教えてください。
主が赦してくださるように、
広い心で赦すことを教えてください。」
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