「カイサリアの聖バジリオ司教教会博士・ナシアンズの聖グレゴリオ司教教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日は、カイサリアの聖バジリオ司教教会博士とナシアンズの聖グレゴリオ司教教会博士の記念日です。
カイサリアの聖バジリオ司教教会博士(330年ごろ〜379年)とナシアンズの聖グレゴリオ司教教会博士(329年〜390年)の二人は、小アジア、カパドキアのカイサリア近郊に生まれ、バジリオは、カイサリア、コンスタンティノープルで教育を受け、他方、グレゴリオもカイサリア、アレキサンドリアで学びました。その後、2人は当時学問の最高峰といわれた アテネ大学に学び、生涯の友となって互いに研鑽の道を歩みました。バジリオは、卒業後帰郷し、将来を有望視される教授となりましたが、徳の高い姉マクリーナの影響のもとに修道生活を送る決心をしました。グレゴリオも、初め弁論家となりましたが、修道生活を志してともに隠遁生活に入りました。
◯カイサリアの聖バジリオ司教教会博士とナシアンズの聖グレゴリオ司教教会博士
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バジリオは、各地に修道士を訪ねた後、カイサリアの近くに修道院を建てました。隠遁生活では兄弟愛を行うことが少ないことを悟った彼は、共同体生活の形態に変えて会則を作りました。バジリオの修道生活の形態は広がってゆき、「西方の修道生活の父」と呼ばれる聖ベネディクトに対して、「東方の修道生活の父」と呼ばれました。当時はアリウス派の異端が広がっていましたので、バジリオは正当信仰の擁護を主張して闘いました。また、370年にはカイサリアの司教に任じられ、教区内に貧しい人びとの施設、病院などを建てて貢献しました。
グレゴリオは、381年コンスタンティノープルの司教に任じられましたが、すぐに辞職して説教活動に力を注ぎました。彼は雄弁家であり文学者でした。特に三位一体論は優れたものであり、西方に影響を与えました。2人は、説教や神学の本を数多く著わして教会博士と称されました。また、バジリオの弟である聖グレゴリオ(ニッサ)も聖人であり、彼ら3人はカパドキア3大教父と呼ばれています。
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