「聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日9月27日は、「聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭」の記念日です。
〈次の記事は、「カトリック・サレジオ修道会日本管区」のホームページから引用しています〉
「1581年フランスの西南の小村プーイに生まれた。生家は、子どもの多い貧しい農家であったため、牧童として家事の手伝いをし、少年時代から母親の影響を受けて、貧しい人びとに対して深い同情心を授けられた。父親は学問を授けるてだてを講じた。やがて、才能を見いだされてトゥルーズで学び、1600年司祭に叙階され、引き続いての学究生活によって、神学・その他の学位を得た。のちに、ある婦人からの遺産を受け取るためにマルセイユにおもむき、帰途、トルコの海賊船におそわれ、奴隷としてテュニスでトルコ人に売られたが、その主人を回心させた。
 その後釈放され、再び、神学研究に励み、このころ、聖フランシスコ・サレジオと知り合いになり、信心深い敬虔な雰囲気、魂から発する光線のような純粋さ、謙虚な態度に大きな影響を受け、彼の死後、聖母訪問会の指導を委ねられることになる。
 主任司祭、船役囚人付司祭、説教師として、人びとの不幸を慰め、励まし、助けた。彼は、地方の農夫たちに教えをのべると同時に、またフランス王にも教えと進言とを怠らなかった。その生涯を通じ、多くの慈善事業を行い、一方、信徒黙想会の指導、聖職者の養成を目的とする「宣教会」(本部建物の名称にちなんでラザリスト会ともいうが、最近ではビンセンチオ会の名称も使われている)を1625年創立し、この会を通じてフランスの主任司祭の刷新に寄与した。さらに聖女ルイズ・ド・マリヤックの協力のもとに、1633年、救貧事業と司牧の補助手段として「愛徳姉妹会」を創立した。パリで1660年に帰天。1737年列聖。教皇レオ13世は、1885年に彼をあらゆる慈善団体と病院の守護聖人と宣言した。」
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