三浦綾子のことば(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「わたしの、今の祈りは、すべてのことが、わたしの願いどおりになることではなくて、神の御心のままになるようにと、祈り得る真の信仰が与えられることである。」
『光あるうちに』から

三浦綾子さんのことは、「三浦綾子のことば(第1日目)2023.2.4」をご覧下さい。
私たちが神様にお祈りする時は、一般的に言って「自分の願いどおりに、希望どおりに、要求どおりに、上手く事が運ぶように。」とお願いすることが多いのではないでしょうか。そのように神様にお祈りして、すべて自分の思いどおりに願い事が成就するように祈りますね。そうなるためにお祈りしているわけですから………。
しかし、キリスト教は、そもそもご利益宗教ではありませんし、こんな我儘(わがまま)では、やがて高慢になり、我欲の強い人間になり、自分勝手な生き物になることでしょうね。重ねて言いますが、キリスト教はご利益宗教ではないのです。

神様にお願いするということは、すべてお願いどおりになるということを期待することではなく、それは神様の「御心(みこころ)に委ねる。」ということなのです。なぜか?それは、私たち人間が神様にお願いする内容は、すでにお願する前から神様はご存知なわけです。これは聖書にも書かれていることです。すべてを委ねるところに信仰があるのです。
信仰とは、私は「目に見えない神様の存在を信じること。」と自覚しています。それと、この「御心(みこころ)のままに。」と祈ることこそが信仰なのです。私達人間に謙虚な気持ちがなくては、願い事は叶うことではないと思います。神様の前では、あくまでも謙虚で純真な心子どものような心でありたいものですね。神様はいつも側で見ておられます。

◯新約聖書:マタイによる福音書・第6章・第5〜第15節
「『また、祈るときには、偽善者のようであってはならない。彼らは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈ることを好む。よく言っておく。彼らはその報いをすでに受けている。あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。彼らは言葉数が多ければ、聞き入れられると思っている。彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。だから、こう祈りなさい。
<天におられるわたしたちの父よ、
御名(みな)が聖とされますように。
御国(みくに)が来ますように。
御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。
私たちに日ごとの糧を今日お与えください
私たちの負い目をお赦しください
私たちも自分に負い目のある人を
赦しましたように。
私たちを試みにに遭わせず
悪からお救いください。>』」
『聖書協会共同訳聖書』から
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