「ルルドの聖母」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日2月11日は、「ルルドの聖母」の記念日です。
ルルドとは、フランスのオクシタニー地域圏・オート=ピレネー県にあるルルドという地名で、聖母とは、14歳の少女ベルナデッタ・スビルーにご出現された聖母マリア様のことです。1858年2月11日、村の14歳の少女ベルナデッタ・スビルーが、郊外のマッサビエルの洞窟のそばで薪拾いをしているときに初めて聖母マリアが出現したといわれています。ベルナデッタは当初、聖母マリア様とは思っていませんでしたが、ご出現の噂が広まるにつれ、その姿かたちから聖母マリア様であると噂されていました。
ADE2C93E-3891-463A-9A57-1D0B1271B0F0.jpeg
フランス最南部のルルドにある「ロザリオ聖堂」と「無原罪のお宿り聖堂」です。
EA60BD90-70D6-4C34-8C27-57CE34458B4D.jpeg
次の写真は、私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会の庭にある「ルルドの聖母」です。マッサビエルの洞窟の辺りに聖母マリア様が出現した風景を再現したものですが、世界各国の多くのカトリック教会の庭などにあります。(聖母像だけの教会もあります。)
A646DABF-002B-44D1-AFAF-1D6C57862B11.jpeg
私の自室の祭壇横にある「ルルドの聖母マリア像」です。
聖母マリア様2.jpg
聖母マリア様のご出現は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていましたが、神父がベルナデッタにその女性の名前を聞いて来るように命じると、「無原罪の御宿り」であると告げられたそうです。これによって当初は懐疑的だった神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになりました。「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年のことです。
以後、聖母がベルナデッタの前に18回にもわたって姿を現したといわれ評判になりました。1864年には聖母があらわれたという場所に聖母像が建てられ、この話はすぐにヨーロッパ中に広まったため、はじめに建てられていた小さな聖堂はやがて巡礼者でにぎわう大聖堂になりました。

ベルナデット自身は聖母の出現について積極的に語ることを好まず、1866年にヌヴェール愛徳修道会の修道院に入ってシスター・マリー・ベルナールとなり、外界から遮断された静かな一生を送りました。ベルナデットは自分の見たものが聖母マリアであったことをはっきりと認めていました。例えば1858年7月16日の最後の出現の後のコメントでも「私は、聖母マリア様を見るだけでした。」とはっきり述べています。
1925年にベルナデットが列福され、1933年12月8日、ローマ教皇ピウス11世によって列聖されました。その後もベルナデットによって発見された泉の水によって不治と思われた病が治癒する奇跡が続々と起こり、鉄道など交通路の整備と相まって、ルルドはカトリック最大の巡礼地になり今日に至っています。

『ルルドの聖母への祈り』
「ああ汚れなき乙女マリア、あわれみの御母よ、
あなたは罪人のよりどころ、病人の癒し、苦しむ者の慰めです。
あなたは私が求めるもの、問題、苦しみをご存知です。
あなたはルルドの洞窟の御出現によって、
そこを特別な聖域とされ全世界からの人々の流れに恩恵を与えられました。
数年にわたり数多くの苦しむものは彼らの弱さに、
また魂、精神、身体に治癒を得させて下さいました。
そうして私はあなたの母としてのとりなしを願うために、
限りなき信頼を持ちみ元に進みます。
ああ愛する御母よ、私の願いを聞き入れ得させて下さい。
あなたの愛への感謝を通してあなたの徳にならうように努め、
私がいつの日かあなたの栄光を分かち合って頂けますように。
アーメン」
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。