クリスマス特集2022・その16「靴屋のマルチン」のお話し [キリスト教と読書]

今年もこのブログに「クリスマス特集」を掲載する季節になりました。数年前からこの時期の恒例となっています。今日は、クリスマス特集の最終回、その16「靴屋のマルチン」のお話しです。ロシアの有名な作家のレフ・ニコラエヴィチ・トルストイの「愛あるところに神あり」というお話しですが、日本では「靴屋のマルチン」として知られているお話しです。

「ある町にマルチンという靴屋さんが住んでいました。ですから「靴屋のマルチン」と呼ばれます。マルチンは地下室の小さな部屋に住んでいました。その小さな部屋には、小さな窓が一つだけありました。そして、その窓からは道を通る人の足だけが見えるだけでしたけれども、マルチンは、その履き物を見ただけで誰が通ったか、すぐ分かりました。なぜか?みんなマルチンが作ったり、直したりした、見覚えのある靴ばかりだったからなんですね……なるほどね!

トントン、トントン。朝から晩までトントン。ていねいにトントン。しっかりギュッ、ギュッ。やさしくキュッ、キュッ。マルチンの靴は一生懸命のいい靴ばかり。けれども、本当は、マルチンはとてもとても悲しい気持ちで暮らしていました。マルチンの奥さんも子どもも、ずっと前に死んでしまいました。マルチンは一人ぼっちだったんですね。マルチンの心はひとりぼっちでした。それに、なんだかなんだか寂びしくて、心の中に悲しい涙がつまっていました。

ある日、マルチンは聖書(新約聖書)を読み始めました。聖書には、神様の言葉が書いてあります。その聖書をマルチンは、毎晩、毎晩、夢中になって読みました。なぜだか心が安まりました。ある日、マルチンは夢の中で、イエス様の声を聞きました。「マルチン、マルチン。あした行くから待っておいで」。それで、次の日、マルチンは朝から窓の外ばかり気になっていました。「本当にイエス様は来てくれるのだろうか」。マルチンは胸がいっぱいになりました。

ふと、窓の外を見ると、雪かきのおじいさんが、疲れてぼんやりしていました。「年をとって雪かきなんて、疲れることだろう。ちょうどお茶があったまっている。そうだ、あのおじいさんにご馳走しよう」。マルチンは、おじいさんに声をかけました。「少しあったまって行きませんか」。「ありがとう。助かるよ。なにしろ外は寒くてね」。おじいさんが家に入って来ました。「さあ、さあ、こっちがあったかだよ。あたたまっておくれ。おいしいお茶もどうぞ」。マルチンはおじいさんに熱いお茶を入れてあげました。「フーッ、うまい。寒いときには、熱いものが何よりのごちそうだ」。ところで、マルチンが、窓の外ばかり気にしているので、おじいさんが聞きました。「誰か待っているのかい」。マルチンは、恥ずかしそうに答えました。「なんだかイエス様がおいでになるような、そんな気がしてね。イエス様って方は、ワシたちのような貧しい者を特別愛してらっしゃるようだ。聖書に、そう書いてあるんだよ。さあ、元気が出るから、もういっぱいどうだね」。マルチンはお茶をもういっぱい勧めました。雪かきのおじいさんは、心も身体もあったまって帰って行きました。

時々、北風がビュウーと吹いて行きます。マルチンが仕事の手を休め、窓の外を見ると、女の人が赤ちゃんをあやしているのが見えました。赤ちゃんは泣きやまないし、女の人は、寒そうなかっこうをしています。「もし、おかみさん。うちに入りなさいな」。女の人は、夕べから何も食べていなかったので、赤ちゃんにあげるお乳がでませんでした。マルチンは、パンとスープを出してあげました。「さあ、お食べ。みんな食べてもいいんだよ」。女の人は食べて元気になりました。「でも、おまえさん、この寒さに上着もないなんて寒いだろう」。そう言って、マルチンは、自分の上着を女の人に渡しました。女の人は上着を受け取ると、泣き出してしまいました。マルチンも泣きそうになりました。その女の人は、マルチンに何度も何度も御礼を言って、それから、上着を赤ちゃんにしっかりくるんで、帰って行きました。

マルチンは、また仕事にかかりました。しばらくすると、窓の外で何か声が聞こえます。男の子が、おばあさんのリンゴを取ろうとしたので、おばあさんがひどく怒っていました。マルチンは、飛び出して行って、叫びました。「まあ、まあ、おばあさん、ゆるしておやんなさいよ」。「いいや、今日という今日は、ゆるせんよ。せんだっても、この小僧はワシのリンゴを盗んだんだよ」。「坊や、それは本当か。それは悪いことだよ。誰も見ていないと思っても、天の神様はちゃんと見ておられる。でも、今日は、ワシがそのリンゴを買って、お前にあげるからな」。そして、マルチンは、男の子にリンゴを一個持たせました。「おばあさん、許すって事は難しいけど、とても大切なことのようだ」。マルチンは、小さな声で、そんなことを言いました。すると、おばあさんは「そうだ」とため息をついて、なんだかやさしい気持ちになりました。その時です。「おばあさん、ボクが荷物をもってあげるよ」と男の子は言いました。男の子も、やさしい気持ちになって、二人で仲良く帰って行きました。

マルチンは、家に帰り、また、仕事を始めました。暗くなってきたので、ランプをともし、道具を片付け、そして、棚から聖書を取り出して、きのうの続きを読もうとしました。その時、急に、きのうの夢の中のイエス様の声を思い出しました。そして、マルチンは、ふと誰かがいるような気がしました。その時です。昼間の雪かきのおじいさんが現れ、にっこり笑いながら言いました。「マルチン、マルチン。お前は、私に気がつかなかったのか」。「誰に?」。「わたしに…、あれは私なんだよ」。そして、フッーと消えました。次に、赤ちゃんを抱いた女の人も、また、おばあさんと男の子も現れ、にっこり笑いながら言いました。「マルチン、私が分からなかったのか。あれはみんな私なんだよ」。マルチンは叫びました。「夢ではなかったんだ。本当に、本当に、ワシはイエス様にお会いできた」。マルチンの心は、喜びでいっぱいになりました。

マルチンの机の上の聖書には、イエス様のこんな言葉が記されておりました。『お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。…… わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』と。」

◯新約聖書『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に、次の聖句(イエス・キリストの言葉)があります。
「人の子が栄光に包まれ、すべてのみ使いを従えてくるとき、人の子は栄光の座に着く。そして、すべての民族がその前に集められ、羊飼いが羊と山羊(ヤギ)を分けるように、人の子は彼らを二つに分け、羊を右に、山羊を左に置く。
その時、王は自分の右側の者に言う、『わたしの父に祝福された者たち、さあ、世の初めからあなた方のために用意されている国を受け継ぎなさい。あなた方は、わたしが飢えていた時に食べさせ、渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸のときに服を着せ、病気のときに見舞い、牢獄にいた時に訪ねてくれたからである』。
すると、正しい人たちは答える、『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えておられるのを見て食べさせ、渇いておられるのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅をしておられるのを見て宿を貸し、裸でおられるのを見て服をお着せしましたか。また、いつあなたが病気であったり、牢獄におられるのを見て、あなたをお訪ねしましたか。』
すると王は答えて言う、『あなた方によく言っておく。これらのわたしの兄弟、しかも最も小さい者の一人にしたことは、わたしにしたのである。』
それから、王はまた左側にいる者にも言う、『呪われた者たち、わたしから離れ去り、悪魔とその使いたちのために用意されている永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせず、渇いていた時に飲ませず、旅をしていた時に宿を貸さず、裸の時に服を着せず、病気の時、牢さまた牢獄にいた時に、訪ねてくれなかったからである』。
その時、彼らもまた答えて言う、『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしていたり、裸であったり、病気であったり、牢獄におられたりしたのを見ても、お世話をしませんでしたか』。
すると、王は答えて言う、『お前たちによく言っておく。これらの最も小さい者の一人にしなかったことは、わたしにしなかったのである。』こうして、これらの者たちは永遠の刑罰に、正しい人たちは永遠の命に入る。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

解釈をしますと、冒頭にある「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき」というのは、終末(この世の終わり)に、人の子=イエス・キリストが再臨するということです。その時に天使たちを従えて来て“最後の審判”をするのです。分かりやすく説明すると、この世の終わりに、イエス・キリストが再び現れて、天国に入る者と地獄に落ちる者とを選別するということです。「王」とは、イエス・キリストのことです。「兄弟であるこの最も小さい者」とは、苦しんでいる人たち、弱い立場にある人たち、病にある人たちなど、救いを求めている人たちのことです。「永遠の刑罰に」というのは地獄に落ちるということで、「永遠の命に入る」というのは天国に入るということです。

自分のためではなく、人の為に善い行いをすること。特に貧しい人たち、苦しんでいる人たち、弱い立場の人たち、病にある人たち、そのような人たちのために善い行いをすることです。それがイエス・キリストにすることと同じことになるのです。イエス・キリストは、そういう弱い人たちの中にいてくださるのですね。クリスマスはイエス・キリストがこの世にお生まれになった素晴らしい日です。私たちも、靴屋のマルチンのように、イエス・キリストとお会いできるといいですね。祈りましょう。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。