「悲しみの聖母」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日9月15日は、「悲しみの聖母」の記念日です。
新約聖書にある4つの福音書の中で、聖母マリア様が大きな悲しみに遭う場面が7度あります。聖母とは、「聖母の7つの悲しみ」と呼ばれるこれらの出来事に心を痛める聖母マリア様のことで、通常7本の剣で心臓を刺し貫かれ、悲しむ表情を見せる聖母の図像(絵画や彫像など)で表されます。悲しみの聖母の記念日は、1814年に教皇ピウス7世がこれをラテン典礼教会全体に広めました。当初は9月の第3日曜日が悲しみの聖母の記念日でしたが、1913年に教皇ピウス10世が9月15日に定めて(1914年に教会歴へ)現在に至っています。では、新約聖書からこの7つの悲しみの記載箇所を見てみましょう。7つすべて聖母マリア様ご自身に起こった悲しい出来事です。
カルロ・ドルチ作の「悲しみの聖母」です。私の大好きな絵です。東京の上野公園内の国立西洋美術館(常設展)にあります。
悲しみの聖母.jpg
スペイン・サラマンカ市のサラマンカ大聖堂にある悲しみの聖母像です。7つの剣で心臓を刺し抜かれています。とっても痛そうです(; ̄O ̄)
聖母マリアのななつの悲しみ.jpg
◯第一の悲しみ:「幼子イエスに関するシメオンの預言」
母親である聖母マリア様と父親である聖ヨセフ様が、幼いイエス様を父である神様にお捧げするために、エルサレム神殿へ入った時の出来事。(日本の神社へのお宮参りみたいなものですか!?)
新約聖書:ルカによる福音書・第2章第25~第35節
「その時、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しく敬虔な人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上にあった。彼はまた、主が遣わすメシアに見るまでは決して死なないとの、聖霊のお告げを受けていた。彼は霊に導かれて神殿に入ると、律法の慣習に従って、両親が幼子イエスを連れてきた。シメオンはその子を抱きあげ、神をほめたたえて言った。「主よ、今こそあなたはお言葉のとおり、あなたの僕を、安らかに去らせてくださいます。 わたしはこの目で、あなたの救いを見たからです。この救いは、あなたが万民の前に備えられたもの、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの栄光です。」父と母は、幼子について言われた言葉を聞いて不思議に思った。シメオンは彼らを祝福して、母マリアに言った。「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするために定められ、また、逆らいを受ける徴として定められています。あなた自身の心も剣で貫かれます。それによって、多くの人のひそかな思いが、露わにされるでしょう。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯第二の悲しみ:「エジプトへの逃避」
ローマ帝国の属州となっていたユダヤ地域を統治することを許されていたヘロデ王が、この世に救世主(メシア)=イエス様が誕生したことに危機感を抱き、見つけしだい殺害しょうと思案していた時の出来事。
新約聖書:マタイによる福音書・第2章・第7~第16節
「そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼び寄せて、星が現れた時期を確かめた。そして、彼らをベツレフムに送り出すにあたって言った。「行って、その幼子を丹念に探し、見つけたら、わたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行きたいから」。王の言葉を聞いて、彼らは出かけた。すると、彼らがかつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、幼子のいる場所まで来て止まった。彼らはその星を見て、非常に喜んだ。家の中に入ってみると、幼子が母マリアとともにおられた。彼らはひれ伏して幼子を礼拝した。そして宝箱を開け、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。その後、夢の中でヘロデのもとに戻らないようにとのお告げを受けたので、ほか道を通って自分たちの国へ帰って行った。
さた、博士たちが立ち去ると、夢の中で主の使いがヨセフに現れて言った。「起きよ、幼子とその母を連れて、エジプトへ逃げよ。そして、わたしが告げるまで、そこに留まれ。ヘロデが幼子を探し出して、殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ逃れ、ヘロデが死ぬまでそこに留まった。これは主が預言者を通して、「わたしはわが子をエジプトから呼び出した」と仰せになったことが成就するためである。さて、ヘロデは博士たちに欺かれたと知って、非常に怒った。そして人を遣わし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその地方一帯にいる、二歳以下の男の子を、ことごとく殺させた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯第三の悲しみ:「3日のあいだ少年イエスとはぐれたこと」
イエス様が12歳の時に、母親である聖母マリア様と父親である聖ヨセフ様と一緒にエルサレム神殿に捧げ物を持って行った時、帰りにイエス様が行方不明になった出来事。(日本の神社への七五三参りみたいなものですか!?)
新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第40~第48節
「幼子は成長し、たくましくなり、知恵に満たされた。神の恵みがその上にあった。さて、イエスの両親は、毎年、過越の祭りにはエルサレムへ上っていた。イエスが十二歳になられた時も、両親は祭りの慣習に従って、都に上った。祭りの期間が終わって、帰路に就いたが、少年イエスはエルサレムに残っておられた。しかし、両親はそれに気づかなかった。道連れの中にイエスはいるのだろうと思い込み、彼らは一日の旅を終えてから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、イエスを捜しながらエルサレムまで引き返した。そして、三日の後、両親は神殿の境内でイエスを見つけた。イエスは学者たちの間に座り、彼らの話を聞き、なた彼らに質問しておられた。イエスの言葉を聞いた人々はみな、その賢明な受け答えに驚嘆していた。両親はイエスを見て驚き、母が言った、「あなたは、どうしてこんなことをしたのですか。お父さんもわたしも心配して、あなたを捜していました。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯第四の悲しみ:「十字架を背負って歩くイエスと出会ったこと」
イエス様の磔刑(たっけい:十字架による死刑)が決まり、ローマ帝国のエルサレムにあるポンティオ・ピラト総督の官邸から、十字架の刑場であるゴルゴタの丘に、イエス様が重い十字架を担って行く途中、聖母マリア様がイエス様と出会った出来事。
新約聖書:ルカによる福音書・第23章・第26~第28節
「さて、イエスを引いて行く途中、兵士たちは、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を担わせ、イエスの後ろから運ばせた。大勢の民がイエスの後に従った。その中には、イエスのことを嘆き悲しむ女たちがいた。イエスは彼女たちの方を振り向いて、仰せになった。「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣かなくてもよい。むしろ、自分自身のため、また自分の子供たちのために泣きなさい。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯第五の悲しみ:「イエスの十字架のもとに立ったこと」
ゴルゴタの丘の刑場で、イエス様が十字架に磔(はりつけ)となった時の出来事。
新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第25~第27節
「ところで、イエスの十字架の傍らには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアたたずんでいた。イエスは、母とそのそばに立っている愛する弟子とを見て、母に仰せになった。「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です」。それから弟子に仰せになった。「見なさい。あなたの母です。」その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯第六の悲しみ:「十字架から降ろしたイエスの遺体を抱きとめたこと」
ゴルゴタの丘の刑場で、イエス様が十字架に磔(はりつけ)となり、亡くなって十字架から遺体を下ろした時ので出来事。
新約聖書:マタイによる福音書・第27章・第55~第61節
「またそこには、多くの婦人たちがいて、離れた所から見守っていた。彼女たちはガリラヤからイエスに従って来て、イエスに仕えていた人たちである。その中に、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、およびゼベダイの子らの母がいた。夕方になると、ヨセフというアリマタヤの金持ちが来た。彼もイエスの弟子であった。彼がピラトのもとへ行き、イエスの体の下げ渡しを願い出た。そこで、ピラトはそれを渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの体を受け取って、清らかな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の納め、その入り口には大きな石を転がしておいて、立ち去った。そこにはマグダラのマリアと、もう一人のマリアが、墓の方を向いて座っていた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯第七の悲しみ:「イエスの遺体を埋葬したこと」
亡くなったイエス様をお墓に納めた時の出来事。
新約聖書:ヨハネによる福音書・第19章・第40~第42節
「彼らは、イエスの体を受け取り、ユダヤ人の埋葬のしきたりに従って、香料と一緒に亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があった。その園には、まだ誰も葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、その墓が近かったので、そこにイエスを葬った。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
以上の7つの悲しい出来事です。
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