「アンチオケの聖イグナチオ司祭殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日10月17日は、アンチオケの聖イグナチオ司祭殉教者(紀元35~107年頃)の記念日です。このブログの2019年10月17日に掲載した記事を再掲載いたします。聖イグナチオが司教として活躍したアンチオケ(新共同訳聖書ではアンティオキア)は、キリスト教にとってとても重要な町で、新約聖書の使徒言行録によれば、多くの異邦人がキリスト教を受け入れた最初の町でした。このため、エルサレムの教会は、この町にバルナバを派遣し、バルナバはパウロを捜し出して共に連れて行き、熱心に信者たちを教え導きました。キリストを信じる人々が「キリスト者」と呼ばれるようになったのもこの町でした。後に、パウロとバルナバはここから宣教旅行に旅立っており、この町は異邦人への宣教の拠点でもありました。

ローマの競技場に引き出され、貴族や民衆が観ている面前でライオンに喰われて殉教しました。したがって、アンチオケの聖イグナチオの絵はライオンと一緒に画かれています。つまり、ライオンがアトリビュートになっているわけです。
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聖イグナチオは、イエスの弟子である使徒ペトロの二代後の司教としてアンチオケの教会を治めました。野獣(ライオン)の餌食となる刑を受けるためにローマに護送され、107年にローマ帝国トラヤヌス帝の治世のもとで殉教しました。ローマに向かうたびの途中で、各地の教会に7通の手紙を送り、キリスト、教会の構造、キリスト者の生活などについて優れた教えを説いた。アンチオケではすでに四世紀から、10月17日に彼の記念日として祝っていました。イエス様の弟子でアある12使徒を直接知っていた使徒教父の一人です。殉教するまで、シリアのアンティオケの3代目の司教をつとめ、(初代は使徒聖ペトロ)。キリスト教正教会、非カルケドン派(コプト教会、エチオピア教会、シリア教会など)、カトリック教会、聖公会、プロテスタントのルーテル教会などで聖人となっています。ちなみに、私がよくミサに与る四ッ谷にあるカトリック麹町・聖イグナチオ教会の<イグナチオ>の名称は、修道会のイエスズ会の創始者の一人であるイグナチオ・ロヨラからです。

【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
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