沢村五郎のことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「もし人の救いが自分の努力と修養の結果であるとするならば、自分が得意となってしまいます。おそらく謙遜にもなれず、同情も無く、また自分でできたと思えば感謝もなくなることでしょう。何の価値もない罪人が、神の恵みと愛によって、キリストのいさおしによって救われたと思うとき、どうして高慢になれましょう。」

沢村五郎のことは、「沢村五郎のことば(第1日目)2020.5.13をご覧ください。
救いは神様の恩寵(おんちょう)ですから、自己努力のようなものではなく、もちろん誇るようなことでも高慢になることでもありません。信仰に敬虔な態度であることは、確かに神様に適うことだと思いますが、だからといって誇ることではありませんね。信仰は、いつも謙虚にありたいものです。

【いさおし】
立派に仕事などをなしとげること。勇ましい。など
【恩寵】
神様や主君から受ける恵み、慈しみのこと。キリスト教における恩寵とは、神様の人間に対する働きかけ、神様の人類に対する慈愛を意味します。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。