ジョージ・マクドナルドのことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「祈っているときに、ときおりこんな思いが胸をよぎることがある。『いっそあきらめてしまうほうがいいのではないだろうか?』こうした考えは、子どもらしさと無邪気な信頼が欠けていることからくる。」

ジョージ・マクドナルドのことは、「ジョージ・マクドナルドのことば(第1日目)2019.7.8」をご覧下さい。
この言葉は、キリスト教だけでなく、仏教、神道、イスラーム(イスラム教)にしても同じことが言えると思います。それは、「祈る」ということは、神様、仏様なりを信じて(信仰して)祈るわけですから、全幅の信頼をおいて祈ることになります。
そこには“迷い”や“ためらい”はありません。子どものような“純真無垢な心”で祈らなければ祈りにならないのですね。信頼の欠けた祈りを毎日していても意味はありません。信じることなくして信仰はあり得ませんね。
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