新約聖書:ヤコブの手紙・第4章・第17節 [聖書]

「なすべき善いことを知っていながら行わないなら、それはその人にとって罪です。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

私にとっては非常にインパクトのある聖句(イエス・キリストの言葉、聖書の言葉)となっています。この「ヤコブの手紙」は、書いた人物は結論的には不明ですが、イエス様の弟子である12使徒の大ヤコブではないことはわかっているようです。3世紀の半ば以降、教父(きょうふ・初期キリスト教の教義の基礎を築いた人)達は、イエス様の兄弟(カトリック教会の解釈では従兄弟などの親類)で、「義人」と呼ばれたヤコブという人がこの書簡の著者であるとしてきました。

義人ヤコブが著者なら、書簡がかかれた場所は、義人ヤコブが62年の殉教まで暮らしていたエルサレムであろうと言われています。新約聖書の正典として取り上げられるまで時間がかかっていますが、それは、この書簡の内容が主にユダヤ人キリスト教徒に向けられたものということで、非ユダヤ人達があまり読まなかったためではないかと思われています。書簡の内容は、前段で神に対する間違った求め方が指摘され、中段でこの世との妥協が批判され、後段で悔い改めて神に立ち返るようにとの勧告がなされています。

この言葉ですが「人として、行わなければならない善い行い」を知っていながら、それを行わないのは罪になると説いています。知らないことを行わない=罪にならないということですが、場合によっては知らなくても罪になることもあります。しかし、知っていて行わないのは、なおさら罪になるということです。ヤコブの手紙は、このように「善い行い」を強調しているところに特徴のある書簡となっています。

この書簡の前段部分にある第2章・第14~第17節で、次のとおり書かれています。
「わたしの兄弟たちよ、たとえ、誰かが自分は信仰をもっていると言っても、行いが伴わないなら、何の役に立つでしょう。そのような信仰は、その人を救うことができるでしょうか。仮に兄弟か姉妹かが、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとしましょう。あなた方のうち、誰かが、その人に、「安心して行きなさい」「たくさん着なさい」「十分食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もまたこれと同じで、行いが伴わないなら、それ自身、死んだものです。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
………とあります。最後のところで「行いが伴わないなら、信仰だけでは死んだものである」と説いています。これは非常に大切なことで、信仰とは善い行いが伴って初めて信仰といえます。信じるだけでは信仰とはいえないのです。すべては「善い行い」が伴うのです。
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